戦後の混乱が収まり、日本が復興に向けて歩み始めていた昭和22年。薄汚れた軍服姿で顔中を包帯でぐるぐる巻にした男が、小さな寄席で突然高座に上り、裏口から外に叩き出されていた。そこに通りかかったのは、落語家森乃家天楽師匠の娘弥生。彼女は男が持っている小さな守り袋に見覚えがあった。それは父の弟子で自分の婚約者でもあった森乃家うさぎが戦地に行く前に、弥生が自ら手渡したものだったからだ。うさぎは戦死したと伝えられたが、生きて帰ってきたのだ。だが顔には戦地で負った大きな傷跡。そして彼は、自分の名前も仕事も何もかも、すべての記憶を失っていた。師匠の天楽はうさぎを自宅に引き取り、彼が記憶を助ける助けになればと小さな寄席に出演させはじめる。しかしそれからしばらくして、兵隊姿の別の男が天楽を訪れる。じつは彼こそ、本物の森乃家うさぎだった……。
芸人で個性派俳優の板尾創路が、『板尾創路の脱獄王』に続いて撮った監督第2弾。本人は戦地から戻った「森乃家うさぎ、らしい男」を演じている。後から戻ってくる「本物の森乃家うさぎ」を演じているのは浅野忠信だが、板尾創路と浅野忠信は年格好も風貌もまったく似ても似つかない。にも関わらず、弥生と天楽の親子も、他の弟子たちも、寄席関係者や他の落語家たちも、誰も「うさぎじゃない」と言わない不思議さ。とぼけているというか、間抜けというか、バカな話ではある。しかしこの映画はそれを、おちゃらけたバカな話にせずに、陰気で、不気味で、ドロドロした、怪談のような語り口にしているのが特徴だ。まだ都会のあちこちに「闇」があった時代。人々の心にも真っ暗な「闇」があって、それが最終的にはすべての人を呑み込んでゆく。終戦直後という時代の闇、戦争で受けた男たちの心の闇、男と女の間にある闇、男の嫉妬という闇……。
ベースにあるのは「偽うさぎ」がブツブツとつぶやく古典落語「粗忽長屋」だ。行き倒れの男を隣人だと思い込んだ粗忽者と、その男に「お前が死んでいる」と言われて一緒に遺体を引き取りに行くバカな男の話。この滑稽話には「死」という暗い影が付いて回るのだが、そこをグロテスクにならぬよう演じてみせるのが噺家の芸というものだ。『月光ノ仮面』はこの話から、死人と生きている人の取り違えや、登場人物たち全員が重大な勘違いをしたまま話がどんどん進行して行く展開を踏襲する。しかし一番重大な違いは、「粗忽長屋」の中に登場する死体を隠し、それでいながら滑稽話を暗いジメジメとした怪奇譚に作り替えてしまったことだ。滑稽話にしようと思えば、その方がずっと簡単な設定なのだ。主人公がなぜか遊郭の床下から穴を掘ったり、なぜかドクター中松が出てきたりと、結構賑やかな映画なのだ。それでいてこのドンヨリとした不気味なムード。賑やかで、おめでたくて、それでいて凍てついた冷たさを感じさせる作品なのだ。
DVD:月光ノ仮面
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