ゴダール・ソシアリスム

2010/11/15 映画美学校試写室
映画界の生ける伝説ジャン=リュック・ゴダール最新作。
三部構成の映像による散文詩。by K. Hattori

Filmsocialisme  映画界の生ける伝説ジャン=リュック・ゴダール監督の最新作。上映時間1時間42分の長編映画だが、中身は3つのパートに別れている。豪華客船で旅をする人たちの姿をスケッチ風に描く第1部、田舎でガソリンスタンドを経営する一家と彼らを取材するTVスタッフによる第2部、最後は膨大な映像と言葉の断片をコラージュした第3部。これらに統一されたテーマがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。綿密な計算の上に成り立った映画かもしれないし、そうではないのかもしれない。いずれにせよ、こんなデタラメな映画はゴダールにしか作れない。デタラメで、ハチャメチャで、支離滅裂で、それでいてどこを観てもゴダールの意匠を散りばめられた、ゴダールしか作り得ない映画なのだ。

 ゴダールの映画は他の監督たちが作る「映画」とは、明らかに違っている。それはゴダールが40年以上前に、商業映画に対する決別宣言を出してから一貫しているのかもしれないし、それ以前からそもそもゴダールは他とは違っていたのかもしれない。いずれにせよゴダールの映画は他のどんな映画にも似ていないので、ゴダールの映画について語れば、それは「映画」ではなく「ゴダール」について語ることになってしまう。ゴダールは映画の文法を解体し再構築することで、映画というメディアそのものを挑発し、映画がもともと持っていながらほとんどの映画から失われてしまっている表現の可能性について、自分自身の映画を通じて語る。ゴダールの作る映画は映画に対する「託宣」であり、ゴダール作品を観る人はそれをうやうやしく受け入れるしかない。

 『ゴダール・ソシアリスム』を通常の映画の文法にあてはめれば、それは時としてあまりにも言葉が足りず、時として過剰なほどに饒舌なバランスの悪い映画だと思う。第1部の豪華客船の旅は、スケッチ風の描写ばかりが延々繰り返されるばかりで飽き飽きする。その中にはドキリとするような美しいシーンもあるが、それがシークエンスやエピソードに組み立てられていくことはない。細かなシーンの羅列はもつれ合いながら、ある時突然に終わる。第2部は一応「物語」らしきものがあるようだが、ここでは中心になる物語を隠して周辺のサイドエピソードだけを拾い集めたようなスタイルになっている。これはきわめて意図的なものだが、周辺エピソードから引き算して中心のエピソードが浮かび上がってくるような構成にはあえてしていない。最終第3部が1部と2部を引き取って、映画全体をひとつの作品としてまとめる役目を果たしているのかいないのか、そのあたりも要領を得ないところではある。

 普通の映画が小説やルポルタージュだとすれば、ゴダールの映画は詩なのだ。散文による詩を小説の文体にあてはめても、その内容はチンプンカンプン。詩を読み解くものには詩人の心が必要。しかし残念ながら、僕にはそれが欠けているらしい。

(原題:Film socialisme)

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12月18日公開予定 日比谷TOHOシネマズシャンテ
配給:フランス映画社 宣伝:アルゴ・ピクチャーズ
2010年|1時間42分|スイス、フランス|カラー|1:1.66|DTS DOLBY
関連ホームページ:http://www.bowjapan.com/socialisme/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ゴダール・ソシアリスム
関連DVD:ジャン=リュック・ゴダール監督
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