樺太 1945年夏

氷雪の門

2010/05/28 映画美学校試写室
終戦直後の樺太は南下するソ連軍によって凄惨な戦場となった。
9人が殉職した真岡事件の映画化。by K. Hattori

Hyousetsu  終戦直後の樺太(現在のサハリン)で、停戦を無視して侵攻してくるソ連軍に取り囲まれて逃げ場を失い、9人の女性電話交換手が自決する事件が起きた。この映画は「真岡事件」と呼ばれ、「北のひめゆりの塔」とも評されるこの悲劇を、ほぼ史実に沿った形で映像化した異色の戦争映画だ。事件から29年後の1974年に、当時としては破格の製作費5億円を費やして作られた大作で、当初は東宝系で全国公開される予定だったという。ところが公開直前、ソ連当局からクレームが付いて配給会社は公開を断念。その後小さな配給会社で小規模公開されたそうだが、観た人も少なくすっかり幻の映画となっていた。

 今回36年ぶりに公開されるプリントは、残っていたプリントの退色や傷をデジタル技術で修復したもの。(オリジナルネガは消失してしまったらしい。)フィルムの尺も含めてこれが現行での完全版だと思われるが、デジタル修復を施したとはいえ全体の色褪せや抜けの悪さ、シャープさに欠けた眠い画像など映像の劣化はどうしても気になる。もっとお金をかけて色調だけでもオリジナルに近い形に復元することは可能だろうし、もっと手間をかけるなら、前後数コマの画像からよりシャープな画像を作り出す方法もある。しかしおそらく費用対効果という面では、現状が精一杯なのだろう。しかしこれは、名画座で古い映画を観ている気持ちになれば許せる。この映画を観る人は、映像に関してはどうか大らかな気持ちで接してほしい。

 映画は時系列に沿って事件の推移を描いていくが、描かれているのは真岡事件だけではなく、ソ連参戦前後から始まる樺太在留邦人の悲劇だ。ソ連参戦で在外邦人が悲劇に見舞われた例としては、満州に取り残された日本人たちの話がよく知られているが、樺太で起きた出来事はそれとほぼ同じものだと言ってもいい。しかし話がより一層悲惨な色を帯びるのは、樺太で民間人が巻き込まれる戦闘が激しくなるのが、8月15日の停戦以降だという点だ。民間人を守るべき兵士たちは本土からの停戦命令を受けて戦闘を停止していたが、ソ連軍はそれにお構いなしに日本の兵士と民間人を蹴散らしていった。停戦調停に向かった白旗の兵士たちを射殺し、命からがら逃げている避難民たちを機銃掃射し、機関銃で射殺する。こうした混乱状況の中で、避難誘導や安否確認の根幹である電話通信網を守るために、交換手たちは最後の最後まで戦場になった町に留まり続ける。

 自決した交換手たちに対して、「生き残った人たちは結局危害を受けなかったではないか」「仮に陵辱されたとしても死ぬよりはましではないか」などと批判めいたことを言うのは可能だが、そんなものはすべて戦後数十年たってから言える後知恵というもの。飯盛山で自刃した白虎隊に対して、「若松城は落城していなかったのだから犬死にだ」と言うのと同じだ。歴史の結果は当事者にはわからないのだから。

7月17日公開予定 シアターN渋谷(モーニングショー)
8月7日公開予定 札幌シアターキノほか全国順次公開
配給:太秦
1974年|1時間59分|日本|カラー|ワイド
関連ホームページ:http://www.uzumasa-film.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:樺太 1945年夏・氷雪の門
原作:樺太一九四五年夏―樺太終戦記録(金子俊男)
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