ヒロシマ・ピョンヤン

棄てられた被爆者

2010/05/10 映画美学校試写室
広島で被爆後、北朝鮮に渡った朝鮮人女性の生涯。
わだかまりの残るドキュメンタリー映画。by K. Hattori

ヒロシマ・ピョンヤン―棄てられた被爆者  北朝鮮の首都ピョンヤン(平壌)で暮らすリ・ゲソン(李桂先)さんは、広島県出身の元在日朝鮮人だ。中学高校時代まで日本で暮らしていたが、大学進学をきっかけに家族の中でただひとり北朝鮮に「帰国」し、その後は家族と離ればなれに暮らしている。大学卒業後は大学で知り合った日本出身の朝鮮人男性と結婚したが、その頃から体調が思わしくなくなり、娘時代は丸々と太っていた面立ちが一変するほどにゲッソリと痩せてしまった。体調はその後も悪化し、10年ほど前からは指先から出血したり、髪がすべて抜け落ちるというひどい状態になった。日本から娘を訪ねていた母親はそんな娘に対し、見るに見かねて長年秘密にしていた事実を告げる。それはゲソンさんがまだ幼かった頃、母親に手を引かれて被爆直後の広島市内に入り、二次被爆したということだった。

 監督は戦前戦中に日本の侵略で被害を受けたアジア諸国を長年に渡って取材し、「銀のスッカラ」や「アリラン峠を越えて」などのビデオ作品も制作しているジャーナリストの伊東孝司。日本は世界で唯一の被爆国であり、日本人は世界唯一の被爆国民だが、実際に広島や長崎で被爆したのは「日本人」だけではない。当時日本に併合されていた台湾や朝鮮半島の人々も、広島や長崎で大勢被爆しているのだ。こうした人々の中には、戦後本来の国籍を取り戻して「帰国」してしまった人も多い。この映画は日本政府から何の保護や保障を受けることもできない「在朝被爆者」の存在を教えてくれる。伊藤監督は北朝鮮で、十数名の在朝被爆者に直接会うことができたという。

 しかしながら僕はこの映画に、特に何の感銘も受けなかった。韓国や台湾に被爆者がいることは知っていたので、北朝鮮にも被爆者はいるのだろうと予想はつく。古い言い方をすればそれは「想定の範囲」なのだ。またこの映画は取材対象であるリ・ゲソンさんが「朝鮮人であればこそ被爆した」と言うのだが、そんなことはまったくない。被爆直後の広島市内に入って家族の捜索や救護活動をするうち二次被爆した日本人も多かったが(例えば先代の三代目・江戸家猫八は被爆直後の市内偵察と救護活動で被爆した)、それを「日本人だから被爆した」とは言わない。戦時中の日本には朝鮮半島で強制的に徴用された人たちもいたようだが、ほとんどの朝鮮人は経済的な理由で日本に渡ってきた出稼ぎ組。映画はリ・ゲソンさんが日本に暮らしていたのも、原爆で被爆したのも、家族と離れて北朝鮮にひとり渡ったのも、北朝鮮と日本の交流が閉ざされて家族と会いにくくなったのもすべて日本が悪いかのような口ぶりだが、それは日本を何が何でも悪く言いたいがゆえのいささか強引な屁理屈だ。たぶん監督自身もその強引さを自覚しているのだろう。映画は最後に「日本政府批判」を棚上げして、「引き裂かれた家族の悲劇」という落としどころを作る。なんだか取って付けたような結末だ。

7月3日公開予定 ポレポレ東中野
配給:ヒロシマ・ピョンヤン制作委員会 宣伝(東京公開):ブラウニー
2009年|1時間30分|日本|カラー|スタンダード
関連ホームページ:http://www.jca.apc.org/~earth/iinkai.html
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ヒロシマ・ピョンヤン
関連書籍:ヒロシマ・ピョンヤン―棄てられた被爆者
関連DVD:伊藤孝司監督
関連書籍:伊藤孝司監督
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