桃色のジャンヌ・ダルク

2010/02/09 TMシアター新宿
過激なパフォーマンスを繰り広げる画家・増山麗奈。
彼女に2年半密着したドキュメンタリー。by K. Hattori

Momoiro  路上で過激なパフォーマンスを繰り広げる「桃色ゲリラ」の主催者でもある、画家・増山麗奈を取材したドキュメンタリー映画。映画自体が何かを主張しているわけではないのだが、増山麗奈という人物の主張がかなり政治的なものなので、映画自体もそうした政治色を帯びてしまっている。この映画の欠点は、そうしたことに映画の作り手が無批判なことだろう。取材対象である増山麗奈のペースにすっかり巻き込まれ、魅了され、映画全体が彼女の活動の広報部門になってしまった。監督は編集として数多くの作品に参加している映画人としては大ベテランの鵜飼邦彦だが、監督作はこれが初めて。この映画はしかし実質的に、鵜飼邦彦と増山麗奈の共同監督作みたいなものではないだろうか。映画を作るにあたって、鵜飼監督の主体性がどの程度発揮されているのか、増山麗奈の意思がどの程度反映しているのかが不明瞭。素材としては面白いと思うが、ドキュメンタリー映画としては「誰が何を語りたいのか」が不明瞭な分、弱い映画になっていると思う。

 「これって誰の映画なの?」という重いが大きくなるのは、映画の中に増山麗奈の生い立ちや歩みを綴る再現映像が出てくるくだりだ。これは主人公の一人称のナレーションを伴った劇映画なわけだが、なんとそのナレーションを担当しているのが増山麗奈本人。別に再現ドラマが悪いわけではないし、本人がナレーションを担当するのが悪いわけでもない。ただ気になるのは、ここで語られている内容が、映画の中でまったく批判的に検証されていないことなのだ。増山麗奈本人の言い分が、ただ映像や声として流れてくるだけ。これでは映画を観ていても、「はいはい、そうですか」としか言えないではないか。例えばこの再現ドラマには、彼女の両親の話が出てくる。弟の話が出てくる。ならばなぜ、そういう人たちにインタビューしてこないんだろうか。そうしたインタビューをこの再現ドラマにインサートしていくと、この再現ドラマはちゃんと「ドキュメンタリー」になると思う。増山麗奈本人が語る自分の生い立ちは、それはそれでひとつのインタビューのようなものだ。でもそれをひとつの素材として再構成していかないと、素材はドキュメンタリー映画の中に消化されていかないのだ。

 この映画は増山麗奈の「広報ビデオ」としては悪くないデキだ。彼女の言いたいことが、彼女のやっていることが、彼女の過去と現在が、彼女の思うとおりに映画の中に反映している。この映画を観れば、誰でも増山麗奈という強烈な個性と出会うことができる。でも、素材の面白さだけでドキュメンタリー映画が成立するわけではない。この映画の中で、作り手である監督の立ち位置はどこにあるのだろう。それが見えないことが、この映画の弱さになっている。映画が彼女の活動に奉仕する存在になってしまった結果、独立した1本の映画としての存在意義が希薄になってしまったのだ。

3月27日公開予定 渋谷ユーロスペース(レイトショー)
配給:アルゴ・ピクチャーズ
2009年|1時間45分|日本|カラー|DVCAM
関連ホームページ:http://www.momoirojeanne.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:桃色のジャンヌ・ダルク
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