シーリーン

2009/10/19 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(Premier)
舞台を見つめる女優たちの顔・顔・顔、そして顔……。
第22回東京国際映画祭公式上映作品。by K. Hattori

Shirin  12世紀にペルシアの詩人ニザーミーによって書かれたロマンス叙事詩「ホスローとシーリーン」は、ササン朝の王ホスロー2世(在位590〜628)とアルメニアの王女シーリーンの史実に材を採った宮廷ロマンス物語。とても有名な作品で、日本でも東洋文庫から全訳が出ている。有名な作品なので何度も映画化されているようだが、アッバス・キアロスタミ監督はその新しい映画バージョンを作ったわけではない。この映画は「ホスローとシーリーン」の映画版(どのバージョンかは不明)を観ている観客たちの表情だけを、克明に追ったドキュメンタリーなのだ。映画の冒頭に「ホスローとシーリーン」の簡単なあらすじが紹介された後は、映画館の暗闇の中で画面に見入る観客たちの顔だけが延々映し出されていく。観客といっても一般人ではなく、客席に集められたのは女優たち100人以上。キャスト紹介にジュリエット・ビノシュの名前があるので、キアロスタミの人脈でかなり広範囲に人が集められたのだと思う。観客たちは映画を観ているので自ら何かを語ることはしない。映画に音声として流れてくるのは、上映されている映画の音声のみ。ただし画面は映らない。映画はひたすら、観客たちの表情だけで構成されている。

 映画は演劇を記録するメディアとして発明されたが、演劇にはない際立った表現手法をいくつか持っている。そのひとつがクロースアップだ。特に人間の顔のクロースアップは、演劇と映画の間に決定的な違いを生み出した。優れた俳優はクロースアップで画面に大写しされた表情だけで、その人物の心理を表現してしまうのだ。これによって舞台の上で語られていた俳優の独白は映画から一掃され、俳優たちは無言でものを語る手法を手に入れることになる。こうした俳優の無言の演技を補強するために開発されたのが、フィルム編集による演出だ。俳優の表情をどのような材料と組み合わせるかというモンタージュ技法によって、観客が俳優の表情から読み取る感情は変化する(クレショフ効果)。こうして映画の中では、千の言葉よりもたったひとつの「表情」が決定的な役割を示すことがあるし、またそれを期待されてもいるのだ。本作はそんな「表情の力」に全面的に頼ることで、1時間半の映画を成立させる実験だ。登場する女優たちはベールで髪を覆い、黒っぽい服で映画館の暗闇にいるので、表情だけがよりくっきりと浮かび上がったような効果を生み出している。そしてこれが、きちんと鑑賞に堪えるものになっていることに驚かされる。

 おそらく人間の表情というのは、世の中にある他のどんなものより情報量の多いモノなのだ。大げさな表情は必要ない。人間がほんの少し目を動かしたり、眉をつり上げたり、頬の筋肉を緊張させたりするだけで、人はそこから膨大な量の意味情報を受け取ってしまう。この映画はそんな「表情の力」を、改めて思い知らされる作品だと思う。

(原題:Shirin)

※この映画は次の映画とのつながりの関係で、後半の30分ほどを残して退席している。そのため上記は映画の3分の2ほどを観た上での感想。

第22回東京国際映画祭 アジアの風/西アジア・中東
配給:未定
2008年|1時間31分|イラン|カラー
関連ホームページ:http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=101
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:シーリーン
関連DVD:アッバス・キアロスタミ監督
関連DVD:ジュリエット・ビノシュ
関連DVD:ニキ・キャリミー
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