1999年冬。大学進学のためヴェネチアにやってきたカミッラは、自分と同世代の青年シルヴェストロに出会う。出会った途端に急接近し、互いに好意以上の気持ちを抱きながらもすれ違っていくふたり。だが翌年の冬、ふたりは偶然再会して友人同士に。これがその後も続く、ふたりの微妙で危うい関係の始まりだった……。
映画を観ている人たちが「どうせ最後はこのふたりがくっつくんだぜ」と映画開始直後から予見している男女カップルが、互いに好意を持っているくせに何年も何年もすれ違いを続け、苦心惨憺して「友達以上、恋人未満」の距離を保っていくという物語。要するにロブ・ライナーの『恋人たちの予感』をイタリアでリメイクしたような話ではあるのだが、『恋人たちの予感』が四季折々のニューヨークの風景を巧みに映画に取り入れていたのに対し、『テン・ウィンターズ』はタイトル通り冬の景色しか登場しない。舞台はヴェネチアがメインで、最初と途中にヒロインの実家がある山間の村が出てきて、あとは時々ロシア(モスクワ)が出てきたりするが、中心はあくまでもヴェネチア。そしてどのシーンもすべて冬景色。世界有数の観光地であるヴェネチアだが、映画の中に登場する町は「観光地」の顔をしていない。水上バスは出てきても、ゴンドラは出てこない。映画祭もない(映画祭が行われるのは夏だ)。観光客もいない。その土地で暮らしている人たちだけが知るようなヴェネチアの風景から、登場人物たちがくっきりと浮かび上がっているのがとてもいい。冬の物語ではあっても、景色が凍えるような冷たさを感じさせないのがいい。(ロシアは寒そうだけど。)
ところで「映画は作り手と観客の共犯関係の上に成り立つ」というのが僕の映画についての基本的な考えのひとつなのだが、その点でこの映画は、作り手が「共犯者」である観客を巧みに挑発してくる小憎らしさを持っている。映画のタイトルは英語でも原語のイタリア語でも「10の冬」という意味だから、映画を観始めてすぐ、観客はこの映画が「10年にわたる物語」であり、主人公の男女が「10年にわたってすれ違いを続ける」ということを察知する。映画が始まって早々に主人公たちが結ばれてしまっては、物語がそこで終わってしまうからだ。この基本的なルールが飲み込めれば、あとは作り手があの手この手で主人公たちの運命をもてあそんでも、観客は安心して映画を観ていられる。むしろ「運命の手=映画の作り手」が主人公たちに意地悪な仕打ちをすればするほど、観客はそれをニヤニヤしながら眺めるようになるのだ。結末はわかっている。だから観客はそこに至るプロセスを楽しみたい。そして作り手は、そんな観客の要望に応えていろんなアイデアを持ち出してくる。
映画の作りとしてはフランソワ・オゾンの『ふたりの5つの分かれ路』にも似ているのだが、こちらは最後にちゃんとハッピーエンドになる。
(原題:Dieci inverni)
DVD:テン・ウィンターズ
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