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2009/05/01 映画美学校第2試写室
閉塞した日常に馴染めないまま追い込まれていく焦燥感。
荒涼とした風景に現代を映し出した傑作。by K. Hattori

 たまたまこの試写を観たのは、昨年3月に土浦で起きた連続殺傷事件の初公判が行われる日だった。犯人は「自殺したい」「死刑にしてほしい」という理由で9人の人間を手にかけたわけだが(うち2人が死亡)、その身勝手な論理はそのまま昨年6月の秋葉原通り魔事件の犯人や、2001年に起きた附属池田小事件の犯人につながるもののようにも思えた。一般の人にはまったく理解できない、荒涼とした心の風景。そしてこの映画は、それと同じ風景を物語の中で共有しているように思える。この映画に通り魔事件は出てこないし、主人公は死刑になりたくて大きな事件を起こすわけでもない。しかしこの主人公の抱えた心の風景は、事件の犯人たちと響き合っている。

 映画の主人公は26歳の医大浪人生なのだが、そもそもこの男は本当に医者になる気があるようには見えない。父親が有名な医者で、その跡継ぎになることを周囲から期待されていたから医大を受験し続けているだけだ。予備校にはほとんど通っていない。授業の様子をガールフレンドに録画させたりしているが、それを見て勉強している様子もない。毎日母親手製の弁当を持って家を出て、公園でそれをつまみ食いしたあとは、ただぶらぶらと歩き回り、時々予備校に顔を出して帰ってくる日常。生活に不適合を起こしているのは明らかだが、彼は自分の目の前にある日々の生活の中にだらしなく埋没しているのだ。出口の見えない閉塞感と、生活に馴染めない疎外感。そして周囲を高みから見下ろして冷笑してみせる根拠のない優越感。だがそんな生活がいつまで続くわけもない。彼は出口がない中で、少しずつ追い詰められていく。原発事故で町全体が汚染されている。ガールフレンドからは妊娠を告げられている……。

 「何者でもない若者が何者かになろうとしてもがく物語」というのが僕なりの青春映画の定義なのだが、この映画の主人公はそもそも「何者にもなりたくない」のだろう。何かになりたいのなら、そのための努力をすればいい。逆に「これにはなりたくない」ということがあるのなら、それに対して反抗すればいい。しかし彼は目指すべきものもなく、避けたいものもなく、ただ何者でもない今のままの自分という現状に流されている。ならば「今のままの自分」に満足しているのかというと、決してそんなことはない。彼は周囲の人の目に触れないところで、控え目な抵抗をしてみせる。彼は変わりたいのだ。彼は逃げ出したいのだ。でもそうするチャンスがいくらでもあるにもかかわらず、彼はそうしない。幸運なことに、彼は「死刑になるため人を殺す」連中よりずっとヘタレだったのだ。

 しかし男のだらしなさに比べて、この映画の中の女はじつにたくましい。主人公の母親やガールフレンドしかり、幼なじみの恋人(ヤクザの娘)しかり。彼女たちは現状の中でちゃんと「生きている」のだ。

6月6日公開予定 シネマライズ
配給:NEGA 宣伝:樂舎
2009年|1時間35分|日本|カラー|アメリカンビスタ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.usb-movie.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:USB
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