2日後に長女レイチェルの結婚式を控え、家中が準備で大わらわのバックマン家。そこに戻ってきたのが、麻薬中毒者のリハビリ施設から退院したばかりの次女キムだ。家族はキムを温かく迎えるが、そこからは腫れ物に触るような用心深さも垣間見える。子供の頃からの問題児で一家の厄介者だった彼女が、退院早々また何かやらかしはしないかと家族はおっかなびっくり……。いや、じつは本当のところ、結婚式の準備で大騒ぎをしている家族にそんな余裕は無いのかもしれない。しかし家の中に漂う祝賀ムードに対して、キムはなんと場違いなことか。
『羊たちの沈黙』や『フィラデルフィア』のジョナサン・デミ監督が、アン・ハサウェイ主演で製作した辛辣なホームドラマ。ここで描かれているのは、ひとつの家族の「崩壊」だ。過去に起きたひとつの事件をきっかけに、一家が時間をかけて崩れ去っていく。そこにはドラマチックな破局があるわけではない。家族は苦しみながら、少しずつ自分の家族から離れていく。家の中にいれば、きっと誰かを傷つけ、自分もまた傷ついてしまうから。最初に家を離れたのは母親。そして今、長女も家を離れようとしている。彼女は実家のあるコネチカット州から遠く離れたハワイで、新しい生活をスタートさせるのだという。これは「結婚」というおめでたい話にカモフラージュされてはいるが、実態としては家族からの逃走だ。彼女は家族から逃げた。ようやく逃げ出すための口実を見つけたのだ。
アン・ハサウェイが演じる主人公キムの悲劇は、彼女が家から逃げられないところにあったとも言えるだろう。そもそも家族のトラウマとなった事件を引き起こした当事者が彼女であり、彼女はどこに行こうとその事実から逃れられない。学校にも行かず、職にも就いていなかった彼女は、忌まわしい記憶の染みつく家から逃れることができなかったのだ。彼女にとって唯一の逃避場所は、麻薬患者のための更生施設や病院だったのだろう。彼女は何度も何度も、それらの施設と家の間を往復している。彼女も家から逃れたいのだ。でも逃れられないのだ。
この映画ではバックマン家の人々がみんな傷ついている。真っ先に家族から離れた母親は冷淡なようにも見えるが、おそらくそれは彼女が最も弱い人間だったから、あるいは家族の中で誰よりも深く傷ついているからに違いない。家族の負った傷は今もまだ癒えていない。父親がふとその傷に触れて、身動きできなくなるシーンは印象的だ。傷はぬぐい去れない。それはまたそっと、食器棚の奥深くに封印されるのだ。
手持ちカメラを使った撮影とルーズな編集は、素人のホームビデオ撮影を模倣したものだろう。現実音以外のBGMはない。カットバックなど時間を操作する映画技法も排除されている。無名だが芸達者な俳優たちを多用したキャスティングもあって、まるで本当にひとつの家族の中をのぞき見しているようなリアリティがある。
(原題:Rachel Getting Married)