1978年、冬。

2008/05/14 松竹試写室
1978年の中国を舞台にした郷愁あふれる映画。
30年前の中国はこんなだった。by K. Hattori

 経済成長著しい中国だが、わずか30年前はこうだったんだなぁ……とびっくりさせられる映画だ。正直言うと、僕が「中国」と聞いてイメージするのは、この映画に登場するような古い中国。日中の国交が回復したのはこの6年前、1972年のことだった。その記念として日本にパンダが贈られて、日本はパンダブームが巻き起こる。1980年からはNHKで「シルクロード」が放送されて、中国各地の町や村の暮らしが日本にも紹介された。映画『1978年、冬。』はそのタイトル通り、1978年から翌79年にかけてを舞台にしているが、そこに描かれている風景に懐かしさを感じるのは、僕自身がこの時代の中国の風景をテレビ経由で刷り込まれているからだと思う。

 この映画に描かれる1978年は、毛沢東が指揮した文化大革命が毛の死によって終わった直後であると同時に、搶ャ平による改革開放路線で中国が経済発展に向かう直前の時期でもある。文化大革命の熱狂と混乱が収まり、中国がどこに向かおうとしているのかわからない停滞期。そんな中で中国北部の田舎町・西干道で暮らす18歳の少年スーピンも、自分の身をどう処していいのかわからない停滞感と閉塞感の中にいる。両親は町の工場で働けとうるさいが、スーピンにはそんな気がさらさらない。毎日弁当を持って工場に行くふりをすると、工場の入口でUターンして近くの廃墟で時間を潰している。そんな彼が心を奪われたのが、北京から向かいの家に越してきたシュエンという美少女だった。

 映画の序盤から中盤まで、物語の中心になっているのはスーピンとシュエンの関係性だ。スーピンの町や家からの脱出願望が北京から来たシュエンの境遇と重なり合っている。ふたりはある事件をきっかけに親しくなり、やがてお互いがお互いにとってなくてはならない特別な関係になっていく。

 しかし映画の中盤から終盤にかけて、物語の中心に出てくるのはスーピンの弟ファントウだ。絵を描くのが好きなこの11歳の少年には、リー・チーシアン監督自身の少年時代が投影されているのだという。やがて映画を観る側にも、この映画全体がファントウ少年の回想という形式になっていることがわかる。映画全体に漂うノスタルジックな雰囲気は、映画自体の構造が生み出しているものでもあったのだ。

 映画は78年の冬と、翌年の冬を舞台にしていて、間にはさまれた春や夏や秋は描かれない。乾燥して凍えた風景が、映画の全体を支配している。つまりはそれが、この映画における「故郷の原風景」なのだ。監督はこの作品について、『あの頃は、中国の特別な時代でした。物がなく、映画の中の、閉ざされた小さな町の厳しい冬のようでした。(中略)閉ざされた町の人々は外の世界を知らないのです』と語っている。この映画に登場する西干道という町は、中国北部に設定された架空の町。監督はそこに、30年前の中国という国を投影しているのだ。

(原題:西干道 The Western Trunk Line)

6月14日公開予定 ユーロスペース
配給:ワコー、グアパ・グアポ 配給協力:フォーカスピクチャーズ
宣伝:グアパ・グアポ 宣伝協力:テレザ
2007年|1時間41分|中国、日本|カラー|1:1.85|ドルビーSR
関連ホームページ:http://1978-winter.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:1978年、冬。
関連DVD:リー・チーシアン監督
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