丘を越えて

2008/03/04 東映第1試写室
昭和初期の菊池寛と文藝春秋社の様子を秘書の視点から描く。
西田敏行演じる菊池寛が最高。by K. Hattori

 大正昭和期に活躍した小説家・菊池寛は、いまや「父帰る」や「恩讐の彼方に」「真珠夫人」の作者と言うより、文藝春秋の創設者、芥川賞・直木賞の設立者として知られる人物かもしれない。映画の世界から見るなら、この人は大映の初代社長でもある。他にも競馬や麻雀に熱中して、日本麻雀連盟初代総裁を務め、「日本競馬読本」などという本も書いている。カルチャーとサブカルチャーの間を自由自在に駆け抜けた、異能の文化人と言えるかもしれない。

 『丘を越えて』はそんな菊池寛の姿を、彼の私設秘書の目を通して描く実録風のフィクションだ。伝記映画的な要素もあるが、伝記映画というわけではない。ここに描かれているのは昭和5〜6年のわずかな時間だし、登場する菊池寛の姿にしても、秘書の個人的な視点から見たものに過ぎない。この映画が描こうとしているのは、昭和5〜6年の東京そのものだ。戦前の東京に満ちていたモダンな風俗。江戸から明治・大正へと受け継がれていた日本の風俗風習と、海外から輸入された西洋文化の融合。この映画に登場する東京は昭和20年の空襲で灰になり、敗戦と同時に再建の機会を失ってこの世界から消え去った。

 原作は猪瀬直樹の「こころの王国」で、そこでは物語の形を借りて菊池寛の思想を解剖していくという意図があったようにも思う。そうした意味合いは、映画の中にも多少は原形をとどめている。それは菊池寛が直木三十五(演じているのは著者の猪瀬直樹。直樹が直木を演じている)との対談で、持論である「生活第一、芸術第二」の真意について語る場面や、ヒロインが恋人と一緒に、漱石の「こころ」と菊池寛の「心の王国」について語る場面などだ。しかし残念ながら、こうした場面はあまり面白くない。これが活字による小説と、映像で語らせる映画の違いだろうか。『ダ・ヴィンチ・コード』もそうだったが、知的パズルのような芸術論は映画には不向きなのかもしれない。『ダ・ヴィンチ・コード』はそこの深入りするのを避けて、アクション映画に仕立ててある。

 では『丘を越えて』は文学論や芸術論のかわりに、いったい何を映画の目玉にしているのか。それは菊池寛のキャラクターそのものだ。西田敏行演じる菊池寛は、まるで『釣りバカ日誌』シリーズのハマちゃんそのもの。お人好しで涙もろく、義理人情に厚く、思い立ったらパッと行動、危険の中でもどこかで自分の身の処し方を無意識に計算している、そしてちょっとばかり好色なところもある。この映画を観て「菊池寛=ハマちゃん(西田敏行)」という方程式を刷り込まれてしまったが最後、今後は菊池寛という名前を見かけるたびに、その人の頭の中には西田敏行の顔が浮かぶに違いない。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラがビビアン・リー以外にあり得ないように、菊池寛はもう西田敏行以外にはあり得ない。そのぐらいの名演であり、はまり役だと思う。

初夏公開予定 シネスイッチ銀座、新宿バルト9
配給:ゼアリズエンタープライズ、ティ・ジョイ 宣伝:グアパ・グアポ
2008年|1時間54分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.t-joy.net/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:丘を越えて
原作:こころの王国(猪瀬直樹)
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