ランジェ公爵夫人

2008/02/19 京橋テアトル試写室
文豪バルザックの同名小説をジャック・リヴェット監督が映画化。
男女のシビアな恋の駆け引きを淡々と描写する。by K. Hattori

 ヨーロッパの宮廷や社交界を舞台にした恋愛小説は、ほとんどが不倫をモチーフにしている。そもそも中世のヨーロッパにおいてロマンス(恋愛物語)とは騎士物語のことであり、そこでは騎士たちが貴婦人に対する恋を通して男を磨くことになっていた。貴婦人とは既婚の女性でなくてはならず、それは時として自分の主君や恩人の妻だ。例えばアーサー王物語の中心は、騎士ランスロッドとアーサー王の妻グィネヴィア妃との禁じられた恋にある。アーサー王物語の一部をなすトリスタンとイゾルデの悲恋物語もまた、不倫の恋の物語に他ならない。

 決して実ることのない恋だからこそ、そこで男と女の価値が高められていく。決して実ることの許されない恋だからこそ、男と女の関係は高度な技巧を凝らしたものになる。恋愛の駆け引きは、虚実取り混ぜた心理ゲーム。映画『ランジェ公爵夫人』に描かれているのは、ゲーム化された恋愛に命を賭ける男と女の姿なのだ。

 「恋はゲーム」というと、何やら恋愛を不真面目に考えているように思われてしまうかもしれない。確かにあまたある恋愛ゲームの中には、目先の享楽だけを追い求める浮ついたものもあるだろう。でも人間はそれがゲームと知りつつ、そこに全身全霊を傾ける場合もある。例えばプロのスポーツ選手はどうだろう。野球だってサッカーだって、やっていることは「ゲーム」ではないか。しかしトップアスリートたちはそのゲームに自分自身のすべてを注ぎ込み、その姿を見てファンは感動する。恋愛というゲームも、それと同じことだ。

 フランス社交界の花形ランジェ公爵夫人は、アフリカ探検で名を馳せたモンリヴォー将軍に恋愛ゲームを仕掛け、将軍はこのゲームに引き込まれていく。ゲームの序盤は夫人の思惑通りに展開する。恋に我を忘れてのめり込んでいく将軍と、そんな将軍を手玉に取る夫人。将軍をいいようにあしらう夫人の評価は高まり、夫人に翻弄されるしかない将軍は物笑いの種。だが彼は仲間の手を借りて夫人を誘拐するという奇手に出る。これは夫人のまったく予想もしていなかった展開だ。この大博打の結果、恋愛ゲームの主導権は将軍の手に渡る。「本当の恋」に目覚めた夫人は将軍を追い求めるが、彼は夫人を無視し続け、それがますます夫人の恋心を燃え立たせる結果となる。

 問題はここに描かれる、夫人の「本当の恋」の意味だ。これはゲーム化された恋愛を無効にし、夫人と将軍の関係が持ち合わせていたゲームの虚構性を打ち砕く正真正銘の恋心なのだろうか? それともこの「本当の恋」すらもまた、虚実入り交じった恋愛ゲームの中のひとつのエピソードに過ぎないのだろうか? 僕は後者だと思う。夫人は自らが「本当の恋」という危険な領域に踏み込むことで、再びゲームの主導権を取り戻そうとするのだ。物語の結末は夫人の勝利。彼女はゲームの主導権を完全に取り戻し、勝利の満足感を握りしめたまま完璧な逃走を遂げるのだ。

(原題:Ne touchez pas la hache)

4月5日公開予定 岩波ホール
配給:セテラ・インターナショナル
2006年|2時間17分|フランス、イタリア|カラー|1:1.85|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.cetera.co.jp/Lange/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ランジェ公爵夫人
原作:ランジェ公爵夫人
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