ミスター・ロンリー

2007/12/21 GAGA試写室
ありのままの自分では生きられない人間の悲しさ。
ハーモニー・コリン8年ぶりの新作。by K. Hattori

 1995年にラリー・クラークのデビュー作『KIDS/キッズ』に脚本を提供して注目され、その後『ガンモ』(97年)、『ジュリアン』(99年)の2本を監督して沈黙していたハーモニー・コリンの新作。パリの街角でマイケル・ジャクソンの物まね芸を披露している青年が、マリリン・モンローの物まねをする女性芸人に出会って親しくなる。彼女と仲間たちが暮らす、物まね芸人だけが集まる共同体に招待されたマイケル。しかしそこは、決して彼女が言うような理想郷ではなかった……。

 映画の中ではマイケル・ジャクソンの物まねをする青年がマイケルと呼ばれ、マリリン・モンローはマリリン、チャーリー・チャップリンはチャーリーと呼ばれるなど、すべてが物まね芸の対象となった有名人の名前で呼ばれている。芸人たちは本名を持たず、他人の仮面で生きているのだ。それはその人物の態度にも表れる。マイケルは控えめで優しく、マリリンは傷つきやすい心を抱え、チャップリンはいつもおどけてみせ、リンカーンは自信満々に周囲に指図している。しかし彼らはハリウッドのスター俳優でもなければ、歴史上の偉人でもない。あくまでもそれをマネしているだけ。しかもあまり似ていない、三流以下の芸人たちだ。

 この芸人たちは、他人のコピーとして生きている。しかもそれは世間に広く流布された、パブリック・イメージとしての有名人のコピーだ。どんな有名人だって、私生活の中では有名人の仮面を外してひとりの家庭人に戻るだろう。だがこの有名人村には、そうした私生活の領域がない。人々は朝から晩まで有名人のよそ行きの顔を演じて暮らす。ひどく疲れそうだが、彼らにとってそれは苦痛ではない。むしろこうした有名人の仮面を脱ぎ捨てて、本当の自分に戻る方が苦痛なのだ。有名人の真似事に疲れ果てたマリリンが、そこから脱出するために結局は与えられた役目をなぞってしまう悲劇。

 マリリンには「本物の自分」がなかった。だからマリリン・モンローという虚像から逃れて、「本物の自分」に戻ることができなかったのだ。彼女にできたのは、「マリリンの物まね芸人」という虚像から「本物のマリリン・モンロー」に変身することだったのかもしれない。

 この映画は人々の抱いている夢と幻想が、過酷な現実の前に木っ端微塵に叩きつぶされる様子を描いている。芸人たちの夢の国では、牧場の羊たちが伝染病で死滅する。南米(?)で奉仕活動をしている修道女たちのエピソードは、人々の信仰すら虚像なのだと言いたげだ。神父や修道女は、そこで神父や修道女の物まねをしているだけなのかもしれない。

 映画のラストシーンで雑踏の中に消えていくマイケルは、虚像の仮面を捨てて「本当の自分」を探す旅を始めたのだ。だがそこ先に、彼の求める「本当の自分」は存在するのだろうか? 没個性的なただの人である自分を、彼は「本当の自分」だと認められるだろうか?

(原題:Mister Lonely)

2月2日公開予定 シネマライズほか全国順次ロードショー
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
2007年|1時間51分|イギリス、フランス|カラー|シネスコ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://misterlonely.gyao.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ミスター・ロンリー
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