いのちの食べかた

2007/08/24 映画美学校第2試写室
工業品のように「生産」される食品加工現場を取材したドキュメンタリー。
食肉加工の現場はちょっとショッキング。by K. Hattori

 食肉用に農場で飼育されているブタやウシなどの家畜は、加工場で屠畜されて解体され、流通ルートを通って我々の食卓にまで運ばれてくる。農場から加工場に向かうトラックに乗せられる家畜の姿を、テレビで見たことがある人は多いと思う。数年前のBSE騒ぎのときは、加工場でフックに吊された大量の牛肉も頻繁にテレビで放送されていた。加工場に向かうウシは、まだウシのままだ。でも加工場で吊されているのは、もはやまぎれもない牛肉だ。ではウシはいつどのように牛肉に変化するのだろうか? この映画はテレビでは決して見られない「その瞬間」を、観客の前に突きつける。

 ドイツとオーストリア合作のドキュメンタリー映画で、取材されているのはヨーロッパ各地。ただしそれがどこなのかは、映画の中でまったく説明されていない。この映画には台詞もないし、字幕もない。映画は淡々と食料生産や食品加工の「現場」を映し出し、観る側はそれを自分の頭の中で咀嚼し、解読しながら映画を観続けなければならない。BGMすら使われておらず、映画の背景に流れているのは工場の機械音や従業員たちの他愛のないおしゃべり(内容は聞き取れない)などの現実音だ。

 取材されているのは食物一般の生産過程だ。ニワトリ、ブタ、ウシなどの食肉加工、それに先立つ家畜の種付けや肥育行程、牛乳の生産などの畜産関係。サケ漁と加工場の様子を取材した水産関係。ひまわり、アーモンド、キャベツ、パプリカ、トマト、キュウリなどの農産物関係など。映画は分野ごとに映像をまとめて「畜産編」「水産編」「農業編」のように構成するのではなく、すべての素材をバラバラにして再構成してある。ナレーションや字幕がないことも含め、こうしたドキュメンタリーの構成手法は、ドキュメンタリー映画の古典『伯林・大都会交響曲』や『カメラを持った男』につながるものだと思う。できるだけ左右対称の構図を使用するなど、映像にはかなり取材者側の意図が感じられる仕組みで、これは観客にカメラの存在を強く意識させる『カメラを持った男』との共通点かもしれない。

 映画の中でもっともショッキングなのは、やはりブタやウシが解体されていく場面だ。大きな装置の中でブタがあっという間に屠畜されてしまうのも驚くが、狭い檻に入れられたウシを電気ショックで失神させ、生きたまま血抜きをしたり皮を剥いだりしていくシーンは強烈。狭い檻の中で電撃を食らう直前、ウシが最後に体全体を振るわせるように抵抗するのも哀れだ。ニワトリの加工も、ごく小さいひよこの課程からずっと観ているので、やっぱり可哀想だなと思ってしまう。

 人間は他の命を奪い、命を食べて生きている。「我らの日々の糧(原題)」は命そのものなのだ。残酷だと感じる人もいるだろうけれど、自分たちの生活がたくさんの命に支えられていることを振り返る意味でも、この映画は大勢の人に観られるべきだろうと思う。

(英題:Our Daily Bread)

11月公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:エスパース・サロウ
2005年|1時間32分|ドイツ、オーストリア|カラー|ビスタ|ドルビー
関連ホームページ:http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:いのちの食べかた
関連DVD:ニコラウス・ゲイハルター監督
関連書籍:いのちの食べかた (よりみちパン!セ)
関連書籍:世界屠畜紀行
ホームページ
ホームページへ