『ワイルド・スピード』や『頭文字(イニシャル)D』の日本版とも言える、改造車バトルをモチーフにした映画。実際の改造車を多数画面に登場させ、CGを交えながら壮絶なカーバトルを描くというのが狙いだが、物語の舞台はどことも知れない架空の国の、どことも知れない架空の町だ。登場人物の様子を見る限り、これは基本的には日本のどこかなのだろう。しかし画面に登場する闇市然としたマーケットの様子や、現実にはあり得ないナンバープレート、あらゆる暴力と暴走がまかり通る警察不在の世界観など、ここに描かれている世界は我々の知る「日本国」とは別のどこかだ。
もちろん映画に登場する世界が、そのまま現実である必要はまったくない。先行した『ワイルド・スピード』や『頭文字D』だって、現実にはあり得ない荒唐無稽な舞台設定がまかり通っている。でもそこにはまだどこかで、実際の現実と映画の世界をすり合わせようとする設定上の工夫が施されていたはずだ。しかし本作『スピードマスター』に、それは存在しない。須賀大観監督は『ブリスター!』で半分現実、半分がファンタジーという世界を描き、『最終兵器彼女』では現実世界によく似た、それでいて現実とはまったく違う世界観を持つ世界を描いていた。『スピードマスター』はとうとう、舞台設定を現実に似せることすら放棄してしまったわけだ。
しかし問題なのは、この映画が現実世界とのすり合わせを放棄して荒唐無稽な独自世界を作り上げつつ、一方では実在する車を使ったリアルなカーバトルを描こうとしていることだ。架空の世界の中に、現実の世界が進入していく違和感。ファンタジーの世界を、現実の世界が浸食していく異物感。僕はこれと同じ感覚を、20年以上前にも味わったことがある。それはロボットアニメ「聖戦士ダンバイン」だ。『スピードマスター』に登場する舞台はバイストン・ウェルで、主人公たちが乗り回す改造車はオーラマシーンみたいなものですな。
しかし現実世界と平行して存在する別世界の相克そのものがテーマになっていた「ダンバイン」に比べると、『スピードマスター』は単に舞台設定が荒唐無稽と言うだけのこと。『スピードマスター』では物語の都合に合わせて作られたファンタジー世界と、改造車という現実の世界が最後までうまく馴染んでいなかった。
映画としての見どころは、CGと実写を組み合わせたカーバトル。しかしそれが、映画の序盤に1回、クライマックスに1回しかないのは物足りない。しかも主人公はそのうち、クライマックスのレースにしか参加していないのだ。これは映画中盤にも細かなエピソードを交えて、主人公のメカニックやドライバーとしての腕前を具体的に示してほしかったし、敵役の残忍さや冷酷さを車とのからみで描くエピソードがもっとほしかった。ドラマにもっと細かな起伏があれば、キャラクターも生きてきたに違いない。
(原題:)
DVD:スピードマスター
サントラCD:SPEED MASTER SOUND COLLECTION 主題歌CD:SPEED MASTER(DVD付) 主題歌CD:SPEED MASTER 関連DVD:須賀大観監督 関連DVD:中村俊介 関連DVD:内田朝陽 関連DVD:北乃きい |