サルバドールの朝

2007/06/21 映画美学校第1試写室
1970年代にスペインで起きたアナキスト青年の逮捕と処刑。
死刑執行のリアルな再現に戦慄。by K. Hattori

 1970年代初頭、フランコ政権の独裁に反対して反政府運動に身を投じたスペイン人青年サルバドール・プッチ・アンティックの短い生涯を、『グッバイ、レーニン!』や『ベルリン、僕らの革命』のダニエル・ブリュール主演で描くヒューマンドラマ。サルバドールは1973年に逮捕され、翌年3月に処刑されている。享年25歳。フランコ政権がフランコの死によって幕を閉じる、わずか1年半ほど前のことだった。

 映画はサルバドールが逮捕されるシーンから始まる。仲間との待ち合わせ場所にやってきたサルバドールたちは、張り込んでいた警察にあっという間に包囲されてしまう。銃撃戦の末、重傷を負って取り押さえられたサルバドールだが、この銃撃戦で警官ひとりが死亡した。サルバドールに下された判決は死刑。だがこの裁判は、弁護側の主張がほとんど受け入れられない不公平なものだった。死刑が確定した後も弁護士や家族たちは恩赦を求めて嘆願を繰り返すが、処刑の時は刻一刻と近づいてくる。映画は獄中でのサルバドールの様子を淡々と描写しつつ、弁護士との対話を通して彼の過去が語られていく構成になっている。

 この映画の中で明確にされていることだが、サルバドールは無実の罪で捕らえられているわけではない。彼は自らの政治的確信から、活動資金を集めるための銀行強盗を繰り返し、そこで仲間が民間人を負傷させてもいる。警官殺しにしても、彼の撃った拳銃が警官に傷を負わせたのは事実だ。(ただし銃撃の混乱とパニックの中で、死んだ警官が仲間の警官たちからも撃たれていた可能性はある。)この映画では、サルバドールの犯した罪について事実関係を争ってはいない。これは政治的な陰謀を描いた映画でも、無実の罪で処刑された青年の悲劇を描いた映画でも、不当な裁判を告発する映画でもない。この映画が描くのは、ひとりの青年の「死」そのものなのだ。

 死刑判決に周章狼狽する周囲の人々に比べて、主人公のサルバドールはあまりにも淡々と自分の運命を受け入れている。そのため映画の中では刻々と迫る「死刑」という現実が、どこか抽象的な他人事であるかのような印象を与えるのだ。人間にとって「死」というのは、確かにきわめて抽象的で概念的なものに過ぎない。生きている人間は、誰も自分自身の「死」を経験していないのだから。

 しかし「死」がいくら抽象的なものであったとしても、「死刑」はそうではない。死刑はきわめて具体的で、物理的なプロセスを経て行われるのだ。この映画に登場するのは、「ガテーロ」と呼ばれる鉄環絞首刑。柱に固定した死刑囚に鋼鉄製の首輪を取り付け、それを大きなネジで徐々に締め上げて、窒息させ、最後は首の骨を折る。映画はサルバドールが処刑されるプロセスを、リアルタイムに再現する。相手が誰であれ、国家権力がひとりの無抵抗な人間を殺すという暴力性に、鳥肌が立ちそうになる。

(原題:Salvador (Puig Antich))

秋公開予定 シャンテシネ
配給:CKエンタテインメント株式会社
2006年|2時間15分|スペイン、イギリス|カラー|シネマスコープ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.kinetique.co.jp/
DVD:サルバドールの朝
関連DVD:マヌエル・ウエルガ監督
関連DVD:ダニエル・ブリュール
関連DVD:レオノール・ワトリング
関連DVD:レオナルド・スバラグリア
関連DVD:トリスタン・ウヨア
関連DVD:イングリッド・ルビオ
ホームページ
ホームページへ