ルワンダの涙

2006/10/23 スペースFS汐留
1994年のルワンダで起きた民族大虐殺をリアルに再現。
その時世界は大虐殺を黙認した。by K. Hattori

 1994年4月6日。民族対立が続くルワンダで、大統領の乗った飛行機が撃墜される。ルワンダ国内ではこれをきっかけに、多数派のフツ族がこん棒やナタで武装し、少数派のツチ族を組織的に虐殺し始める。だが現地に駐留していた国連の平和維持軍やNGOの活動家、宗教関係者などは、これをまったく阻止できなかった。そればかりか国連はこの出来事を「虐殺」と呼ぶことすら拒否し、平和維持軍を退去させてしまう。暴力と殺戮の嵐が吹き荒れるルワンダは国際社会に見捨てられ、ほんの数ヶ月の間に数十万とも百万とも言われる人たちが殺されてしまったのだ。

 この事件を描いた映画には『ホテル・ルワンダ』がある。これは暴力が支配したルワンダ国内で、隣人たちの命を助けよう奮闘するルワンダ人ホテルマンの物語だった。だがこの『ルワンダの涙』は、視点を当時ルワンダにいた外国人の側に置いている。暴力を目の当たりにしながら、それに対して何もできなかった人たち。暴力が吹き荒れる凄惨な場所から、命からがら逃げ出した人たち……。人が殺されようとしているとき、命懸けでそれを阻止する行為は立派だ。しかし多くの人間は、残念ながらもっと弱い。命の危険にさらされれば、他人の命を犠牲にしても自分だけはそこから逃れたいと願う。『ルワンダの涙』に登場するのは、そんな弱い、普通の人々なのだ。それだけに、ここに描かれている出来事には身につまされる。自分がもしもその時その場にいたなら、おそらくはこうして人々を見殺しにしてしまうに違いないからだ。

 この映画を製作したデヴィッド・ベルトンも、1994年のルワンダから逃げた外国人のひとりだった。自分は助かって、身近な知人や友人たちがむざむざと殺されるのに何もできなかった……。この映画には、そんな「逃げた者たち」の自責の念が詰まっている。それを代表するのが、ヒュー・ダンシーが演じる英語教師のジョーだ。あるいはニコラ・ウォーカー演じるBBCの女性記者には、製作者ベルトンの体験が反映しているのかもしれない。

 目に見えぬ暴力の気配が徐々に現実の形をとり始め、やがて目の前で公然と虐殺が行われるようになるまでの描写が凄まじい。しかしその凄惨な暴力の現場で、外国人たちは何もできないのだ。原題の『Shooting Dogs』は、死体を荒らす野犬を国連軍が射殺しようとするエピソードにちなんだものだろう。目の前で人が殺されているのに、国連軍は虐殺者たちに銃を向けようとはしない。撃つのは死体を荒らす犬だけなのだ。なんというナンセンス。なんという不条理!

 暗い映画の中で唯一の光明として輝くのは、ジョン・ハート演じるクリストファー神父の勇気だ。クリストファーとは、子どもを背負って危険な川を渡ろうとした聖人にちなんだ名前。この神父にはモデルとなったボスニア人の神父がいる。彼はルワンダに踏みとどまり、そこで命を落としたそうだ。

(原題:Shooting Dogs)

2007年新春第2弾公開予定 ○○系
配給:エイベックス・エンタテインメント、シナジー
2006年|1時間55分|イギリス、ドイツ|カラー|シネスコ|DTS
関連ホームページ:http://www.
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