嫌われ松子の一生

2006/06/29 TOHOシネマズ錦糸町(スクリーン3)
中谷美紀主演の極彩色ミュージカル・トラジェディ。
最後は泣いてしまいました。by K. Hattori

 女主人公の死から始まる映画だ。彼女の名は川尻松子。平成13年夏、荒川の河川敷で何者かに撲殺される。その姿は醜く肥え太り、身なりはホームレスのようだった。彼女はいったい何もので、なぜ殺されなければならなかったのか? 現場すぐ近くの安アパートで彼女の遺品を整理していた親戚の青年は、彼女にゆかりの人々の証言をたどっていくことになる……。

 主人公の死から始まり、周辺人物がそれぞれの立場から自分の知る主人公を語っていくという構成は『市民ケーン』と同じだ。しかしこの映画はそれよりもっと手が込んでいる。証言者の中に、既に死んでいる主人公本人が混じるのだ。死んでいるのになぜ自分について語れるのか。それは彼女がファンだったアイドル歌手に、自分自身の人生を語る長い長いファンレターを書いたからだ。だがこの手紙は、親戚の青年のもとには届かない。(そしてたぶん、受取人となったアイドル歌手も読んでいない。)つまりはこれが、ヒロイン川尻松子の人生を理解するに不可欠な「バラのつぼみ」というわけだ。

 映画を観ている人は、映画の半分以上を占める松子の自分語りを知っているので、彼女の人生の裏の裏まですべて理解できる。しかしこの映画の狂言回し(『市民ケーン』の新聞記者に該当する役回り)である青年は、いったい松子にとってどれほどのことを知っているのか。たぶん彼は、松子についてはほとんど何も知らない。松子の真実を知っているのは、結局のところ観客だけなのだ。映画の終盤で見られる松子の最後は、警察からの情報とそれまで知り得た情報をもとにして青年が再構成した幻影。だがそこからあと、観客は登場人物の視点を飛び越えて、直接松子本人の心の中を垣間見ることになる。観客はこの瞬間、松子本人になるのだ!

 長い長い階段を歌いながら昇っていく松子の姿に、僕は涙が出て仕方なかった。この階段のシーンに、松子のそれまでの人生すべてが凝縮されている。それはたぶん、きわめて主観的な松子だけの世界。この映画はデジタル技術や音楽を多用してフィクショナルに歪めているのだが、それは結局「人間は他人には見えない主観的な世界に生きている」ことの映画的表現なのだ。松子の語った人生が、どれほど真実なのかはわからない。しかしそれは松子本人にとって、間違いなく真実だった。彼女はその真実の延長に、長い長い階段を昇っていく。

 中谷美紀がよかったのはもちろんだが、刑務所時代の親友を演じた黒沢あすかが素晴らしかった。この女優さんはどの映画でもちょっと役に馴染めず浮いているような気がしてならないのだけれど、今回の映画はその浮きっぷりも含めてキャラクターの味になっている。松子の妹を演じた市川実日子も相変わらずいいし、宮籐官九郎のドラマチックな演技も新鮮。全体に異色の豪華キャストが多い中で、物語をビシッと引き締める香川照之と柄本明の確かな演技と存在感は格別だ。

5月27日公開 TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国洋画系
配給:東宝
2006年|2時間10分|日本|カラー|ビスタサイズ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://kiraware.goo.ne.jp/
ホームページ
ホームページへ