青春☆金属バット

2006/06/02 東芝エンタテインメント試写室
冴えないコンビニ店員が常に泥酔している美女に出会う。
坂井真紀のヘベレケ演技が印象的。by K. Hattori

 古泉智浩の同名コミックを、『鬼畜大宴会』の熊切和嘉監督が映画化。コンビニ店員のアルバイトをしている地味で冴えない男が、酒乱の巨乳美女に出会って人生を一変させるというお話。物語はまるでコメディだが、主人公バナンバを演じる竹原ピストルが痛々しいほどリアルに能無しフリーターを演じきり、これが切実すぎてまるで笑えない。酒乱のエイコを演じているのは坂井真紀だが、これもベロンベロンでろれつが回らず、千鳥足だわ、怒鳴るわ、暴力は振るうわ、ゲロはまき散らすわで、目も当てられないような惨状。安藤政信が演じる不良警官の石岡も、悪徳警官と呼ぶほど悪どいわけでなく、ただ自分の現状に不貞腐れてグズグズ煮え切らない態度を取っているだけ。

 この映画の中では主人公から脇役の隅々に至るまで全員が、シャレにも笑い事にならないほど等身大のリアルさで描かれているのだ。それはペンキ屋の落合もそうだし、自称ベイブ・ルースの息子もそうなら、コンビニの店長やアルバイト店員、カツアゲされている高校生、エイコに袋叩きにされるコギャルやそのボーイフレンドなども同じだ。ここに登場するのは、すべて我々にとって見覚えもあれば身に覚えもある、情けなく悲しいダメ人間ばかりなのだ。

 ダメ人間が登場する映画は多いが、この映画ほど登場人物のダメっぷりに共感できない映画も珍しい。普通はダメ人間がもう少しチャーミングに描かれるとか、風変わりだけれど肩入れしたくなるような人物に描かれるとか、人間の弱さを象徴する人物として描かれるなど、ダメはダメでも愛すべきダメ人間として描かれることが多いのではないだろうか。しかしこの映画ではダメ人間を、容赦なく突き放し投げ飛ばすす。ダメ人間を笑い物にしているわけではない。(現にちっとも笑えないのがその証拠。)ダメ人間を否定しているわけでもない。(この映画に登場するのは全員がダメダメだ。)ダメ人間をダメな奴だと否定的に描きつつも、そのダメさに対して執拗に食い下がっていくのが作り手のスタンスだ。

 ダメ人間に共感はしていないけれど、ダメ人間を見捨てられないというこの感覚の根っこには、「自分もダメ人間」という作り手側の意識があるのではないだろうか。この映画にダメ人間に対する憐れみや優しいまなざしが感じられないのは、この映画を作っている側が、登場人物たちを自分と同じ目の高さで見ているからかもしれない。ここにはダメ人間のダメっぷりを笑ったり、温かい目で見つめたり、憐れんで見せたりする気持ちの余裕がないのだ。人間の悲劇や喜劇を描くには、対象から一定の心理的距離を置かなければならない。しかしこの映画には、そうした心理的ゆとりがまったくない。だから笑えないし、泣けもしない。

 自分に気に入られようとつまらない見栄を張っていたバナンバに、エイコがほだされる場面が好きだ。ダメ人間の純情。それがこの映画のテーマに思える。

晩夏公開予定 渋谷シネ・アミューズほか
配給:ゼアリズエンタープライズ、日本出版販売 宣伝:る・ひまわり
2006年|1時間36分|日本|カラー|アメリカンビスタ|DTSステレオ
関連ホームページ:http://www.s-bat.com/
ホームページ
ホームページへ