寝ずの番

2006/04/21 錦糸町シネマ楽天地(シネマ3)
映画一家マキノ一族の末裔・津川雅彦(マキノ雅彦)初監督作。
上方落語一門を舞台にした大家族ドラマ。by K. Hattori

 中島らもの同名小説を、俳優の津川雅彦が初監督したコメディ映画。ただし監督名は「マキノ雅彦」になっている。マキノ監督の父は時代劇スターの沢村国太郎。母はマキノ省三の娘・マキノ智子。兄は長門裕之。父方の叔父が加東大介で叔母が沢村貞子。母方の叔父にはマキノ雅広監督と松田定次監督、東映の重役だったマキノ満男などがいる。日本映画史をひもとけば必ず名前が出てくるビッグネームがずらり。俳優である津川雅彦が、あえて「マキノ」を名乗るのは、こうした一族の「血」を背負っているという自負と責任感ゆえだろう。

 映画は黒澤明の『生きる』と伊丹十三の『お葬式』をミックスして、そこに芸道もののスパイスをふんだんに効かせたような内容。登場人物が死に、その通夜の席で参列者たちが故人の思い出話を語るという構成は『生きる』のままだし、葬儀にまつわる様々なしきたりや風習を劇中に盛り込み、日常の中にある非日常を演出していく様子は『お葬式』を連想させる。マキノ雅彦監督は、俳優・津川雅彦として伊丹作品の常連だった。監督第1作目に「葬儀」というテーマを選んだのは、伊丹監督に対する何らかの思いがあったのかもしれない。しかし通夜の酒が少しずつ回ってどんちゃん騒ぎになると、これは伊丹作品ではなく黒澤作品の味になる。映画の最後に登場人物たちが電車ゴッコをはじめるくだりは、黒澤明の遺作『まあだだよ』を連想させるのだ。

 映画を観た人の多くが、劇中に盛り込まれている艶歌や下ネタにひっかかってしまうようだが、これはもちろん艶歌や下ネタが目的の映画ではないだろう。ここで描かれているのは、関西のとある落語家一門という「疑似家族」による、可笑しくも切ないホームドラマなのだ。師匠を父親に見立てて、弟子たちはさしずめその息子たちだ。核家族化や少子化が進んで、一家に子供がひとりかふたりという時代とは違い、昔はひとつ家に兄弟が7人8人という家はざらにあった。この映画に出てくる「兄弟弟子」の関係は、そうしたかつての大家族の姿にオーバーラップする。劇中で歌われる艶歌の類は、こうした「一家」の結束を象徴する小道具なのだ。部外者にはまったく知られることなく、一家の中だけで伝播継承されていく歌によって、この一家のまとまりは一目瞭然となる。

 物語の中で一門の師匠は登場するやすぐに死んでしまうのだが、弟子や家族の思い出話という形で映画の中に蘇る。こうなると、そこにはもう人間の生死に区別はない。師匠の死体は「死人のかんかん踊り」で足を高く上げ、カメラに向かって見得を切る。兄弟子は弟弟子たちの話に割って入って、自分の出くわした艶っぽい自慢話をする。女将さんは仏壇から飛び出して、弟子たちの前で踊りを踊ってみせる。人間の生死は、世間一般が思っているほど明確な区別があるわけではない。通夜という儀式に故人は再び現れ、周囲の人たちと最後のお別れをするのだ。

4月8日公開 シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー
配給:角川ヘラルド・ピクチャーズ
2006年|1時間50分|日本|カラー|ビスタサイズ|DTS
関連ホームページ:http://www.herald.co.jp/official/nezunoban/
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