フライトプラン

2006/03/10 錦糸町シネマ8楽天地(シネマ6)
飛行機の中で子供が突然行方不明になるミステリー。
神経質そうな前半が不愉快。by K. Hattori

 夫を突然の事故で失い、6歳の娘ジュリアと帰国することになったカイル。しかし彼女自身が設計に参加した最新鋭ジェット旅客機の中で、突然娘が姿を消した。広い機内で必死に娘を探すが、その姿はまったく見当たらない。カイルのただならぬ狼狽ぶりに、機長は乗務員総出の機内捜索を実施。だが飛行機のどこにも少女は乗っていなかった。いったい少女はどこに消えたのか? やがて機長に、カイル母娘に関する驚くべき知らせが届けられる。乗員名簿に少女の名が見当たらず、少女はもともとこの飛行機に乗っていないというのだ……。

 ジョディ・フォスター主演のミステリー・サスペンス映画だが、映画の最初から中盤までずっと不愉快な気分にさせられた。これは物語そのものが不快なのではなく、映画の語り口が不快なのだ。この映画がテレビ放送されたら、視聴者の大半は映画を最後まで観ることなく、途中でチャンネルを変えてしまうだろう。この映画の前半にはまったく魅力がない。むしろ、観客の反感を呼ぶような作りになっている。ジョディ・フォスター演じるカイルというヒロインに、観客が共感も同情も寄せられない作りになっているのだ。

 ヒロインは娘と飛行機に乗ったが、娘が消えたと主張しているのは彼女だけ。やがてヒロインは、周囲から頭がおかしい女だと思われるようになる……というお話だ。こうした話の場合ヒロインがどんなに周囲から白い目で観られたとしても、映画の観客だけは彼女に味方して娘の存在を確信できるようにするのが普通の作り方だ。観客は彼女と一緒になって娘の不在に気づき、その異変に驚怖し、周囲の無理解にいらだち、孤立無援の戦いを強いられる彼女を応援するわけだ。しかしこの映画は、そうした常道の語り口を捨てている。映画は観客をヒロインから引き離し、むしろ飛行機の他の乗客や乗務員たちと同じ立場に置くのだ。観客は映画を観ながら、ヒロインの娘の存在に確信が持てない。娘の気配はあまりにも希薄で、ふわふわと幻想的に描かれている。

 これがハリウッド映画デビュー作となるロベルト・シュヴェンケ監督は、映画の中でヒロインが自分自身の精神状態を疑う場面に引きずられて、ヒロインを最初から、悲しい狂気に取りつかれている女として描いてしまった。これは間違いだし、映画としても失敗だった。これでは映画の前半で、ヒロインはただのはた迷惑な乗客に過ぎなくなってしまう。映画を観る人間がヒロインの娘が消えたことを信じていればこそ、彼女のヒステリックで常軌を逸した振る舞いは観客によって許されるのだ。しかしその観客が娘の存在を最初から疑っていれば、ヒロインのいかなる行為もそこでは正当化されないし、同情してももらえない。

 映画は序盤で、もっと濃密にヒロインと娘の関係を描いておくべきだった。娘の存在を、もっと強く観客に印象づけるべきだった。そうすれば、映画の印象はまるで違ったはずだ。

(原題:Flightplan)

1月28日公開 丸の内ピカデリー1ほか全国松竹東急系
配給:ブエナビスタ
2005年|1時間38分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|DTS、ドルビーデジタル、SDDS
関連ホームページ:http://www.movies.co.jp/flight-p/
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