ルート225

2006/02/22 シネカノン試写室
中学生の姉弟が迷い込んだ不思議な世界……。
SF的設定の青春ドラマ。by K. Hattori

 最近注目の若手女優といえば、僕は迷わず多部未華子なのである。『HINOKIO』や『青空のゆくえ』で注目し、最近は城南予備校のメインビジュアルにもなっている。まっすぐに前を見据える視線の力強さと、周囲に媚びないふてくされたような表情がいい。特別美人だとか、特別可愛いとか、そういうタイプではないのだけれど、ごく普通の日常にある喜怒哀楽を、等身大で表現できる女優だと思う。雰囲気や位置づけとしては、初期の浅野忠信にも似ているような気がする。演技に没入して役に成りきってしまうわけではなく、どこかで役を自分の側に引き寄せてくる部分もあって、これは先がじつに楽しみ。

 というわけで、『ルート225』はそんな多部未華子の主演最新作だ。『HINOKIO』は準主演、『青空のゆくえ』は脇役のひとりだったから、今回の映画は本格的な初主演映画ということになるのかもしれない。これもまた、多部未華子の魅力爆発の傑作映画となっている。映画はルート225(=15歳)からルート256(=16歳)へと至る少女の成長記なのだが、これが女優として今まさに伸び盛りの多部未華子という素材とシンクロして、芝居や演技や演出という作為を超えた存在感を生み出している。映画の中で彼女が演じているエリ子が、確かにそこにいる!というリアリティ。それが映画の最後に、爽やかな後味となって観客の胸に残るのだ。この日本か、それとも別の日本か、あるいはそれとはまた違ったどこかの日本で、自転車のペダルを力強く踏みしめながらエリ子は確かに今日も生きている。

 この映画は主人公の中学生姉弟が、母親の消えた別の世界に迷い込んでしまう不思議な物語。それはSFで言うところのパラレルワールドみたいな世界なのだが、この映画ではそうした多重世界の不思議ではなく、こうした設定を通して「自分と世界との違和感」を表現しているようにも思える。今いる世界は、自分が本来いるべき世界ではない。自分は世界から除け者にされている。自分と世界との間にはしっくりしない部分がある。程度の差こそあれ、こうした世界に対する違和感は、思春期の少年少女であれば誰でも多かれ少なかれ抱くものではないだろうか。自分と世界との間にある溝を、この映画では「A」と「A’」という世界の差として見せてくれる。人は思春期の一時期、誰でも「A’」の世界に住んでいたことがあるのかもしれない。しかし時間が過ぎると、そこで感じていた違和感は日常の中に溶け込んで見えなくなってしまう。

 世界Aから世界A’への移動と、ルート225からルート256への移動……。このふたつが映画では同時進行する。それは誰もが通る大人への成長過程だ。しかし映画はそれをハッピーエンドには終わらせない。一度失った世界は、二度と取り戻すことができないのだ。子供が大人になる痛みと不幸を、この映画は残酷に描ききっている。

3月11日公開予定 シアターN渋谷
配給:オフィス・シロウズ、ソフトシューズ(京阪神) 宣伝:DROP.
2005年|1時間41分|日本|カラー|ヴィスタ|ドルビー
関連ホームページ:http://www.shirous.com/route225/
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