ブラックキス

2005/11/10 映画美学校第1試写室
新人モデルの周囲で次々に起きる猟奇殺人事件。
映画のムードが素晴らしい。by K. Hattori

 猟奇犯罪スリラーの面白さは、犯人を捜しのミステリーにあるのではなく、映画が持つ雰囲気そのものを味わうことにある。それを見事に証明してみせるのがこの映画だ。この映画の中では、犯人が誰なのかはあまり問われない。一応映画の最後に「この人が犯人なのかも……」という人物が示されるのだが、それは「犯人が誰なのか気になる!!!」と騒ぐ一部観客を黙らせるための飴玉に過ぎない。(オコチャマを黙らせるには、口の中に何か放り込んでやればいいのだ。)ほとんどの観客にとって、最後のオチがあろうとなかろうと、この映画の面白さにとっては何も関係ないはずだ。

 都内のラブホテルで、芸能プロデューサーが殺される。被害者は生きたままバラバラに解体されており、殺害現場を見慣れた警官たちも目を背けたくなる惨状だ。部屋は内側から完全に施錠され、一緒にいたはずのモデルも消えた。謎めいた密室犯罪……。やがて消えたモデルも、生きたまま四肢を切断された状態で発見される。一連の事件を最初に通報したのは、ホテルの向かいのマンションに住む新人モデルの明日香。事件の担当刑事・白木は、彼女のルームメイトである元モデルの香純(通称ルーシー)と古くからの知り合いだった。さらに白木は上司から、猟奇犯罪に詳しい鷹山という男を紹介されるのだが……。

 死体を飾りたてる芸術家肌の連続殺人鬼というアイデアは、『羊たちの沈黙』や『セブン』などアメリカ製の猟奇犯罪スリラーによくあるものだ。そうした装飾には犯人なりの意味があり、それを手がかりにして警察が犯人を追うのがお決まりの筋立てだろう。しかしこの『ブラックキス』では、そうしたセオリーを最初から否定する。鷹山は白木に言う。残された手がかりには意味がない。犯人は「恐怖」を煽ることだけが目的なのだと……。

 これは猟奇犯罪スリラーを作る映画作家にとって、自分の気持ちを代弁する言葉ではないだろうか。この手の映画に登場する殺人は、その手口にも、動機にも、そもそも意味などない。殺人の目的は、観客を恐怖で震え上がらせることだけだ。いかに異様な殺人を演出するか、いかに被害者を無残な状態に置くか、そして警察による犯人追及という日常のリアリズムの中で、いかにして犯人に同様の犯行を繰り返させるか。この条件を満たすために、猟奇犯罪スリラーの犯人像はスーパーマンなみの超人になっていく。映画の中の連続殺人者たちは、法やモラルにとらわれない。しかし得てして彼らは、自分自身の抱える個人的なコンプレックスのとらわれ人だ。だが映画製作者たちはどうなのか? 彼らは劇中の犯人以上に、あらゆる制約から自由なのではないか?

 本作の殺人犯は、映画作家と同じ自由な立場に身を置いている。それは映画のリアリズムの中では異形のモンスターにならざるを得ないが、そのモンスターをこの映画の作者は心の中に飼っているのだ。

(原題:)

2006年1月28日公開予定 渋谷Q-AXシネマ
配給:アップリンク
2004年|2時間13分|日本|カラー|1:1.85
関連ホームページ:http://uplink.co.jp/
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