奇談

2005/10/31 映画美学校第1試写室
諸星大二郎の傑作「妖怪ハンター」の実写映画化。
原作の雰囲気がよく伝わってくる。by K. Hattori

 カルト的な人気を持つ漫画家(コミック作家と呼ぶのはちょっと気がとがめる)諸星大二郎の人気シリーズ「妖怪ハンター」から、初期の傑作「生命の木」を実写映画化した作品。独自の創世神話が伝えられている隠れキリシタンの里で、村人を十字架で殺すという猟奇殺人事件が起きる。たまたまこの村に来ていた異端の考古学者・稗田礼二郎と、幼い日の記憶をたどるため東京からやってきた佐伯里美は、この事件の裏にある恐るべき真相を目撃することになる。

 僕自身「妖怪ハンター」シリーズの読者だったこともあり、「生命の木」は当然よく知っている作品だ。原作が発表されたのは1970年代だが、その頃にはまだ日本にも独自信仰を守る隠れキリシタンの集落が少数ながら残っていたようだ。しかしこの話を、そのまま現代の日本に持ってくるのは無理がある。そこで映画は、時代背景を原作が執筆された1970年に設定している。これは他に選択の余地がない、必然的な脚色だと思う。しかしそれによって映画を観ている側と物語の間に、否応なしに一定の距離感ができてしまったのは間違いない。この距離感をどうやって埋めてるかが脚本の腕の振るいどころだと思うのだが、残念ながらこの映画にはそうした問題意識が感じられない。

 原作は短編なので、映画はそれに独自のエピソードを加えて物語のボリュームを増している。原作からそのまま映像化されている部分は、かなりいい雰囲気だ。クライマックスに登場する「さんじゅあん」など、原作からそのまま飛び出してきたような迫力を感じた。原作で物語の語り手となっている少年を、大学の研究室で働く若い女性に変更したのもいい選択だろう。しかしこうなると、若いヒロインと稗田礼二郎の間になにやら不穏な空気が漂うわけで、その処理がまったく未整理になっている印象は受ける。映画のオリジナル・エピソードである神隠しの子供たちは、本来の物語とどのように組み合わさっているのかがわかりにくい。たぶん脚本を書く段階では明確な理屈が考えられていたのだろうが、それが映画の中でちゃんと説明されていないように思う。これは「かるはり山=カルバリ山」や「骨山=ゴルゴタ(しゃれこうべ)」といった地名の語呂合わせが説明不足のままになっているのと並んで、ミステリー仕立ての映画としては少々残念な点だと思う。

 資料によれば原作は1976年に発表されているようだが、それをあえて1972年という年に特定したことにどんな意味があるのかはわからなかった。日本列島改造論やディスカバージャパンといった風俗描写もあるのだが、こうしたキーワードの挿入は、かえって現代の観客と映画の世界に距離を作ってしまうだけではないだろうか。あえて1972年にするなら、その時代性に徹底的にこだわって、当時の世相風俗を念入りに盛り込んだ方が物語世界の厚みは増したと思う。映画は少し中途半端だ。

11月19日公開予定 新宿オスカー、池袋シネマサンシャインほか全国
配給:ザナドゥー 宣伝:ビー・ウィング
2005年|1時間28分|日本|カラー|ビスタサイズ|SRD
関連ホームページ:http://www.kidan.jp/
DVD SpecialShop DiscStation 7dream_88_31 TSUTAYA online
ホームページ
ホームページへ