アワーミュージック

2005/08/04 映画美学校第2試写室
端正なたたずまいを感じさせるゴダールの新作。
工芸品のような完成した世界。by K. Hattori

 ジャン=リュック・ゴダールが9.11テロ後の現在を描いた作品。1時間20分の映画は3つのパートに別れている。最初は戦争と暴力についての映像コラージュが続く「地獄編」、次は現代のサラエヴォを舞台にゴダール本人と学生たちの交流を描く「煉獄編」、そして死んだ女子学生を主役にした「天国編」だ。このタイトル付けはダンテの「神曲」に倣っているが、特にダンテと関係がある様子は見えない。むしろ「地獄」は過去、「煉獄」は現在、「天国」は未来とも読み取れるし、「地獄」は現実、「天国」は理想、「煉獄」はその中間で揺れ動く我々の姿とも解釈できそうだ。

 しかし配布されたプレス資料に収録されているゴダール本人のインタビューによれば、この三部構成はたまたま生み出された結果に過ぎないのかもしれない。もともと完成した映画が契約した時間より少し短かったため、あとから10分間の「地獄編」を付け足したのだという。しかし製作プロセスがどうであれ、完成した映画はこの「地獄編」なしには考えられないような作品になっている。「煉獄編」の最後に告げられる女子学生の死は、正確に「地獄編」と呼応し、最後の「天国編」と対称しているのだ。

 映画の3つのパートの中で一番長いのは「煉獄編」だが、ここでテーマになっているのは「戦争の記憶」だ。長い内戦が終わって平和を取り戻したサラエヴォだが、町のあちこちにはまだ戦争の傷跡が残っている。映画冒頭にある「地獄編」の戦争コラージュが、ここで生きてくる。映画を観る者の脳裏に刻みつけられた「戦争映像の記憶」が、映画の中で語られる「戦争の記憶」と重なり合う。ひいてはこれが、女子学生の死という結果と強く結びついていくのだ。

 映画に登場する女子学生は、本当に死んだのか。それは映画を観ていても正確なところはわからない。ゴダールと電話で話している男も、本当のことは知らない。しかし電話の男はニュースを見て「きっと彼女に違いない」と断言し、ゴダールもそれを受け入れる。おそらく映画を観ている人たちも、彼女の死をそのまま受け入れるに違いない。ある人物がいて、ある出来事が起きる。ふたつの関係を結びつけるのは、実際にそこで何が起きたかという事実ではなく、その人物を知り、事件を知った人たちの「確信」なのだ。ある出来事を認知し、解釈し、それを受容した上に、ある「真実」が成立する。

 僕はゴダールの映画とあまり相性がよくなくて、今回も第2部「煉獄編」の大部分でウトウトしていた。最近のゴダールの映画というのは、どんなに本人が映画をいじくり回しても、結局のところ「ゴダール」という作家性からは一歩も外に出ていかないという、完成しつくして閉じた世界になっているのではないだろうか。すべてが作家のコントロール下に入ってしまった映画というのは、残念ながら僕にはあまり面白く感じられない。

(原題:Notre Musique)

秋公開予定 シャンテシネ
配給:プレノンアッシュ
2004年|1時間20分|フランス、スイス|カラー|スタンダード(1:1.37)|DTS
関連ホームページ:http://www.godard.jp/
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