アイランド

2005/07/12 丸の内ルーブル
秘密施設で育てられたクローンが真相を知って脱出。
見せ場たっぷりのアクション大作。by K. Hattori

 地球環境の悪化した近未来。汚染物質の蔓延により、もはや世界に人間の住める土地はほとんど残されていなかった。わずかに生き残った人々は、衛生状態が完全に管理されたシェルターの中で暮らしている。そんな生き残りたちにとって最後の希望は、地上に奇跡的に残された非汚染地域“アイランド”だ。シェルター暮らし数年目になるリンカーン・6・エコーは、最近よく同じ夢を見る。彼は大好きなジョーダン・2・デルタと一緒に、憧れの“アイランド”にいる。しかしその甘美な夢は、いつも悪夢で終わるのだ。そのジョーダンが“アイランド”行きの権利を得た。別れは寂しいが、いずれは自分も“アイランド”に行けるのだ。そう信じていたリンカーンだったが、たまたま入り込んだ施設の奥深くで、シェルターに隠された恐ろしい秘密を知ってしまう!

 安全が保証されながらも管理され自由がない未来社会というアイデアは、かつてSF映画の中に「ディストピアもの」というサブジャンルを形成していたことがある。『華氏451』(66年)、『ソイレント・グリーン』(73年)、『ローラーボール』(75年)、『2300年未来への旅』(76年)などなど。ジョージ・オーウェルの未来小説「1984」(映画化は84年)が、そうしたイメージの源泉になっているのかもしれない。こうした管理社会では、娯楽と幻想によって市民の不満をカモフラージュする。「パンとサーカス」で市民を慰撫した、古代ローマ帝国の再現だ。映画『アイランド』に登場するシェルター生活は、これら昔懐かしいディストピアSFの引用とパロディなのだ。

 近未来SFはそれがユートピアであれディストピアであれ、登場する「社会」は我々の暮らす現代社会の歪んだ投影図となっている。主人公の住む世界は、姿を変えた「この世界」なのだ。しかし『アイランド』はそこから一手ひねって、主人公たちを「この世界」の外側に置く。主人公たちの世界は我々の世界とは、切り離された別個の世界なのだ。主人公たちにとっても「世界」は我々の世界の外にあり、映画を観ている我々の世界は逆に、主人公たちから見れば「外側」になっている。我々の世界は暴力と裏切りに満ちているが、そこは主人公たちにとって希望が持てる世界だ。つまりこの映画は、最初から最後まで徹底的に現実肯定の立場をとっている。

 この映画は未来に実現するかもしれない科学技術が登場する点で、確かにSFなのかもしれない。しかしその中身は「今ある現実の肯定」だから、映画を観る人の世界観を鋭く批判し揺るがすような驚きはない。クローンの反乱は「奴隷の反乱」であって(反乱に協力するのは『アミスタッド』で黒人奴隷を演じたジャイモン・フンスー)、その奴隷は決して我々ではないのだ。サスペンス・アクション映画としては手に汗握る見せ場満載で、僕としても大満足。でもこれがSF映画かというと……。

(原題:The Island)

7月23日公開予定 丸の内ルーブルほか全国松竹東急系
配給:ワーナー・ブラザース映画
2005年|2時間16分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|サウンド
関連ホームページ:http://island.warnerbros.jp/
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