戦国自衛隊1549

2005/06/16 錦糸町シネマ8楽天地(シネマ1)
リメイクでも続編でもないオリジナルだが新鮮味はない。
脚本に力がないのが致命的だ。by K. Hattori

 1979年(昭和54年)の角川映画『戦国自衛隊』は、半村良の同名SF小説を斉藤光正監督が映画化した大ヒット作。角川グループ60周年として映画化された本作『戦国自衛隊1549』は、自衛隊が戦国時代にタイムスリップするという原作の設定を借りて、『ローレライ』や『亡国のイージス』の原作者でもある福井晴敏が書いたオリジナルストーリー。ただし半村良の原作にありながら、映画版『戦国自衛隊』で省かれてしまったSF的な設定が復活している。それは最新装備の自衛隊を率いる隊長が、織田信長になるというアイデアだ。ただし今回の映画では、それをさらにひとひねりしている。

 もっとも、戦国時代にタイムスリップした自衛隊を追って、別の部隊がまたタイムスリップするというアイデアは、半村良の「戦国自衛隊」を漫画化(1975年)した田辺節雄が数年前から書いている「続 戦国自衛隊」にあるもの。過去に戻った自衛隊の装備や知識を使って、よりよい日本の未来を築くため歴史改変を企てるというアイデアに至っては、かわぐちかいじの人気漫画「ジパング」だろう。結局これは半村良の小説版「戦国自衛隊」に、田辺節雄やかわぐちかいじの漫画からアイデアを補充してきただけだ。

 映画最大の欠点は、鹿賀丈史が演じている的場毅という人物が、なぜ世界を破滅させてまで歴史を書き換えようとするのか、その怨念にも似た気持ちがまったく理解できないことだ。この怨念は映画の元ネタと思われる「ジパング」の大きなテーマだが、映画ではほんの数行の台詞で、言い訳のように語られるだけだ。結局的場は手にしている巨大な暴力装置の持つ政治的な力に魅了され、その時代の独裁者になってしまっただけではないのか?

 的場の部下たちの中には、平成の世界に家族や恋人を残しているものも多いだろう。平成の世界への絶望を、タイムスリップした自衛隊員の全員が共有しているとは思えない。彼らはなぜ平成の世界に帰ろうとしないのか? 的場や他の隊員たちの気持ちをもっと掘り下げて、彼らの「戦国時代で生き続けるしかない!」という気持ちにもう少し共感なり同情の気持ちが持てるようにして欲しかった。

 気持ちが理解できないという点では、江口洋介演じる鹿島勇祐も同じだ。彼は平成の世界を、なぜ命懸けで守ろうとするのだろう。彼が守りたかったものはなんだったのだろう。世界を破滅させようとする的場と、世界を守ろうとする鹿島の対決がこの映画の中心にあるのだが、それぞれの動機がぼんやりしたままでは映画の印象全体もぼけてしまう。原作はどうであれ、物語の中に明確な対決軸を作れなかったのは脚本の責任だろう。

 監督は『ゴジラ』シリーズを3本撮っている手塚昌明。相変わらず特撮や特殊効果は見事だし、オープンセットも立派。しかし脚本は『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』以下なのだ。

6月11日公開 日劇2ほか全国東宝系
配給:東宝
2005年|1時間59分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.sengoku1549.com/
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