七人の弔(とむらい)

2005/06/03 メディアボックス試写室
児童虐待をしている親たちが子供を売ろうとするが……。
物語にもうひとひねり欲しいな〜。by K. Hattori

 人里はなれた山奥のキャンプ場に集められた7組の親子たち。表向きは親子参加の楽しい合宿か何かのように見えるが、じつはここには恐ろしい秘密があった。それはこのキャンプが、子供たちの臓器売買の場になっているということだ。キャンプに参加しているのは、普段家で子供を虐待している者や、借金で首が回らなくなっている者たちばかり。彼らは子供ひとりあたり5千万円という金額で、金持ちの老人たちに子供を売り飛ばそうとしているのだ……。

 タレントで構成作家でもあるダンカンが、脚本・主演作『生きない』(清水浩監督)に続き、ついに自ら監督したブラック・コメディ。『生きない』は集団自殺ツアーの物語で当時は荒唐無稽な設定だと思ったが、その後は練炭集団自殺などが相次いでいるから、あれはあれで結果として時代を先取りする映画だったような気もする。今回は児童虐待と臓器移植目的の人身売買の話で、モチーフとしてはやはりかなりネガティブ。暗くてグロテスクな話題を笑いに昇華させようという意欲は買うが、今回の映画はもう少し最後にひねりが欲しかった。

 映画はキャンプ場の大きなテーブルに突っ伏している人の姿から始まり、そこから時間を戻してそこに至る事情を語っていく形式。しかし「子供は死なない」というのが娯楽映画の基本的な約束事である以上、大人たちの人身売買計画がどこかで挫折するのは最初からわかっていることだ。問題はそれがどこで、どんな形で挫折するかなのだが……。残念ながら、僕はこの映画のオチに承服できない。

 途中で大人たちの思惑に気づいた子供たちが、最後に大人を出し抜くという展開はあまりにもストレートすぎて、しかもよく考えると後味が悪いのだ。親と離れた子供たちは、この後どうやって子供だけで暮らしていくんだろうか。同じようなキャンプは過去にも開催されているのだから、今回たまたま子供が危機を切り抜けたとしても、前のキャンプでは子供が犠牲になっているはずだし、次のキャンプでも子殺しが行われるだろう。なぜこの不正を、そのままにしてしまうのか?

 僕なら最初から、ダンカンや老人たちが虐待被害者の子供を守る話を考える。映画の流れは終盤まで同じだが、このキャンプを行っているのは臓器売買のための秘密組織ではなく、虐待されている子供たちを救う組織だったというのがオチ。子供たちはこれまでにも誰も死んでいないし、これからも死ぬことはない。老人たちは身寄りを失った子供たちを引き取り、最高の教育を施してくれるだろう……。こんな話でどうだ?

 実際に児童虐待をしているケースでは、施設に引き取られた子供をわざわざ引き取ってから殺してしまうケースもあるし、複数いる子供たちの中で特定の子供だけが虐待のターゲットになることも多い。児童虐待という現象が持つそんな不可思議さを、この映画は単純化しすぎているようにも見える。

夏休み公開予定 テアトル新宿
配給:オフィス北野、東京テアトル
2004年|1時間47分|日本|カラー|ヴィスタサイズ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.office-kitano.co.jp/7tomurai/
DVD SpecialShop DiscStation 7dream_88_31 TSUTAYA online
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