ミリオンダラー・ベイビー

2005/05/14 科学技術館サイエンスホール
アカデミー賞の主要4部門を受賞したイーストウッド監督作。
あまりにも哀れで惨めな人間たちよ……。by K. Hattori

 ハリウッド映画には「ドグマ(教義)」がある。それはアメリカン・ドリームだ。恵まれない境遇からでも、努力すれば成功が得られる。精一杯の努力をする人に、周囲は協力と声援を惜しまない。正義は必ず勝つ。誠意は相手に通じる。成功はすべての問題を一挙に解決させる。どんなジャンルの映画であれ、このドグマは生きている。ドグマは人を酔わせる。それを信じさえすれば、世の中はじつにシンプルでわかりやすい。だがクリント・イーストウッドは本作『ミリオンダラー・ベイビー』で、そんなハリウッドのドグマをそっくり否定してみせるのだ。

 貧しい境遇からボクシングだけを武器に成功を目指す女性ボクサーと、彼女をコーチする老トレーナーの物語だ。ウェイトレスの仕事をしながら小銭をため、さびれたジムを経営するフランキーの押しかけ弟子になったマギー。始めは彼女を相手にしなかったフランキーだったが、ジムを手伝う旧友スクラップの介添えもあって、彼女を本格的にコーチするようになる。持ち前の闘志とハードパンチにフランキー仕込みのテクニックを加え、連勝街道を邁進するマギー。ふたりはついに夢のタイトルマッチにたどり着くのだが……。

 アメリカン・ドリームは米国社会の神話だ。ハリウッド映画においては、その神話を肯定することが求められる。だが実際にアメリカン・ドリームを実現できるのはほんの一握りの、幸運な人たちに過ぎない。この映画の主人公たちは、最後の最後までその幸運のおこぼれに与ることができない。何をどう努力しても、立ちふさがる壁があるのだ。その壁は、人間がどう立ち向かってもびくとも動かない。血の滲むような努力をする者にも、神は微笑んでくれない。この映画ではその現実をさまざまな視点から、これでもかと観客に見せつける。決して届くことのないフランキーの手紙。マギーの思いも家族には伝わらない。ハートだけは誰にも負けないジムの味噌っかす。失った片目と引き換えにしたスクラップの109試合。そしてマギーとフランキーの前に立ちふさがった、あまりにも過酷な現実。

 勝利する者の数に比べて、勝利に見放された者の数はあまりにも多い。だが人は負け続けてもなお、生き続けなければならない。たとえ人生が自分の思い通りにならなかったとしても、かつて夢に描いていたものと大きくかけ離れていてもだ。こうしたテーマは、イーストウッドの前作『ミスティック・リバー』にも通じるものだ。だが最後に「家族」という逃れ場所を用意していた『ミスティック・リバー』に対し、『ミリオンダラー・ベイビー』そんな小さな逃げ場所すら主人公たちから奪ってしまう。

 映画の最後に残されるのは、父と娘の深い愛情と絆。しかしその「父娘関係」は、本物の娘や父を失った者たちが作り上げた幻影なのだ。だがその幻の、なんと温かく優しいことか! イーストウッドはすごい映画を作った。

(原題:Million Dollar Baby)

5月28日公開予定 丸の内ピカデリー1ほか全国松竹東急系
配給:ムービーアイ、松竹
2004年|2時間13分|アメリカ|カラー|2.35:1|サウンド
関連ホームページ:http://www.md-baby.jp/
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