村の写真集

2005/2/8 松竹試写室
写真家の父子が山間を歩いていく日本版『山の郵便配達』。
物語はもっとシンプルに語ってほしい。by K. Hattori

 東京でカラオケ店のバイトをしながらカメラマン目指して修行中の高橋孝は、突然故郷の徳島・花谷村に呼び戻され、写真館を経営する父・研一の仕事を手伝わされることになる。じつは村役場の仕事として花谷村の写真集を作ることになり、その撮影の助手を孝に頼みたいというのだ。ところがこの父子は以前からあまり仲がよくない。父の仕事を手伝うなど真っ平御免だが、山間の道を黙々と歩き写真を撮り続ける父の姿を見るうち、孝は少しずつ父の仕事を理解しようとし始めるのだった……。

 おそらくこれは中国映画『山の郵便配達』の日本版を作ろうとした作品だと思う。郵便配達の親子が山間の村々を訪ね歩く姿が、山間の家や集落を撮影して歩く父と子の姿に置き換えられているのだ。監督・脚本は『あしたはきっと…』や『ドッジGO GO』の三原光尋。主演は海東健と藤竜也。写真監修として立木義浩が参加して主人公たちの撮る写真を撮影し、音楽の小椋佳は主題歌「村里へ」を歌っている。

 三原監督はスポーツものでスピード感のある楽しい映画作りをする人だが、今回のような映画では彼の持ち味があまり生かされていないのではないだろうか。風景に負けないシンプルでしっかりした物語を作らなければならないのに、三原監督はサービス精神が旺盛すぎて、あれこれ余計なエピソードを突っ込んでしまうのだ。それがこの映画の中では無用な雑音になってしまう。おそらく三原監督は、映画作家としてとても欲張りなのだろう。自分で映画化したい企画が、たくさんあるのだろう。目の前に差し出された映画の中で、あれもできる、これもできると張り切ってしまうのだろう。でもそれがこの映画の中では、裏目に出てしまっている気がする。

 例えば主人公・孝の恋人が台湾人だという設定と、その恋人が突然村を訪ねてくるというエピソードは、この映画にとって余計だったと思う。恋人の後押しで故郷に帰るというエピソードがほしいとしても、それをわざわざ台湾人にする必要はないだろう。僕はここで恋人が台湾人でなければならない意味をあれこれ考えてしまったのだが、映画の途中で彼女は退場してしまうし、この設定には特に何の意味もないようだ。

 映画の中では撮影した写真をなかなか見せてくれない。映画のエンドロールで、カーテンコールのように写真が披露されるだけだ。だがこうした構成は物語の説得力を欠く。息子の孝が父親の写真と自分の写真を比べて父の凄さを思い知らされるエピソードがあるが、ここは孝が「ぜんぜん違う!」と言葉で説明するだけでなく、実際に映画を観ている人に写真を提示して、「なるほど違うよな」と実感させなければ意味がない。写真を撮った後で亡くなった老人の葬儀で、大杉漣が「親父はあの写真を喜んでいたよ」と涙ぐむシーンも、そのタイミングで写真を見せてくれないから何だか感動の焦点が結べないしな〜。

4月下旬公開予定 東京都写真美術館ホール
配給:ビデオプランニング=ワコー 配給協力:レゾナント・コミュニケーション
2004年|1時間51分|日本|カラー|アメリカンヴィスタ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.murasha.com/
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