1930年代から50年代にかけてブロードウェイや映画の世界で活躍したソングライター、コール・ポーターの伝記映画。この時代はジェローム・カーン、アーヴィング・バーリン、ガーシュイン兄弟、リチャード・ロジャースらが活躍したミュージカルの黄金時代。この頃ミュージカルのために書かれた歌の多くが、現在もジャズのスタンダード・ナンバーになっている。「夜も昼も」「アイ・ラブ・パリ」「君にこそ心ときめく」「あなたはしっかり私のもの」など、ポーターが作詞作曲した名曲は今も輝きを失わない。
ポーターの伝記映画が作られたのは、これが初めてというわけではない。本人がまだ生きていた1946年に、ワーナーで『夜も昼も』という映画が作られている。しかしその映画は彼が同性愛者であることを完全に隠蔽していた。当時ポーターの同性愛は誰もが知る公然の秘密だったが、映画界に厳格な倫理コードがあってあからさまに描くことができなかったのだ。今回の映画を観て「ポーターの同性愛を強調しすぎなんじゃないの?」と思った人は、どうぞ『夜も昼も』をご覧あれ。今回の映画は『夜も昼も』を踏まえたうえで、それに対するアンチテーゼとして作られた作品なのだ。その証拠に劇中では『夜も昼も』のラストシーンが引用されて、皮肉なコメントが付け加えられている。
映画は最晩年のポーターが過去を回想するという形式で、彼と妻リンダの愛情生活だけを描こうとしている。ショーの再現場面なども当然あるが、ミュージカル作者の伝記映画としては物足りないぐらいだ。ポーターの楽曲も実際の作曲年とは無関係に、その場その場の話の流れに合わせて配置してある様子。(もちろん劇中劇など重要な場面はその限りではないのだが……。)死を前にした主人公(もしくは既に死んでいるのか?)が自分の人生を回想するという形式は、ボブ・フォッシーの『オール・ザット・ジャズ』というよりは、ルビッチの『天国は待ってくれる』なのかな〜とも思う。死神役はジョナサン・プライス。これがなかなかのはまり役だった。
ポーター役のケビン・クラインが自ら歌うシーンがとても多く、これがクライマックスからエンディングに向けての大事な伏線になっている。ポーターがリンダに向かって「ソー・イン・ラブ」を歌うシーンは泣けた。この弾き語りを「キス・ミー・ケイト」の舞台とカットバックさせて、リンダが亡くなった場面では「さよならを言うたびに」につなげる。ここで僕は涙が止まらなくなってしまった。演出として特別に上手いわけじゃない。これは音楽の力が半分ぐらい加担しているのだ。
最後がしんみり終わるかと思うと、ジョナサン・プライスが突如「ブロー、ガブリエル、ブロー」を歌い始めてカーテンコール。ここにうれし泣き。すべてが終わって画面が暗転すると、ポーター本人が録音した「ユー・アー・ザ・トップ」が流れて大感動!
(原題:DE-LOVELY)
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