紀元前4世紀、弱冠二十歳でマケドニア王に即位するやいなや、大軍を率いてペルシア帝国を攻め滅ぼし、さらに軍を進めて遠くインドまで遠征したアレキサンダー(アレクサンドロス)大王の伝記映画。伝記映画というのはある人物の長い人生をコンパクトにまとめるため、場合によってはエピソードの羅列やダイジェスト版のようになってしまうものだ。しかしこの映画では、アレキサンダーと共に従軍し、大王没後はエジプト王となったプトレマイオス1世の回想談という物語の大枠を作って、アレキサンダーの全生涯を巧みに3時間弱の映画にまとめている。監督・脚本はオリバー・ストーン。
回想形式のいいところは、長い長い物語の中から本当に必要なところだけを抜き出して、それ以外を大胆に省略してしまえることだ。今回の映画でも、そんな回想形式の利点が存分に発揮されている。その最たるものが、アレキサンダーと宿敵ペルシア帝国の王ダレイオス(ダリウス)3世の戦いが1度しか起きないことだろう。映画を観るとペルシア軍はガウガメラの戦いまで無傷のようにも見えるけれど、実際はその2年前、イッソスの戦いで一度マケドニアに敗れているのだ。しかしそれを無視して、ダレイオスを無敵のペルシア王のように描くのは、その後のオリエント世界の地図を塗り替えた天下分け目の戦いを、いやが上にも盛り上げようとする演出意図に他ならない。
両軍あわせて30万近い軍勢が正面からぶつかるガウガメラの戦いは、この映画最大の戦闘スペクタクルシーンだ。しかし問題はこのシーンが映画の序盤に配置されていて、中盤以降は観客を唸らせるクライマックスが存在しないことだ。アレキサンダー軍は徐々に統制が乱れて内部から崩壊していく。物語の緊張感も熱気も、ガウガメラを最後にひたすら右肩下がりの下降線をたどるばかり……。
この映画がかくも中途半端な印象を残してしまうのは、アレキサンダーという夢追い人を主人公にしながら、監督・脚本のオリバー・ストーン本人がその夢にまったく共感していないからではなかろうか。そもそもアレキサンダーの夢とは何だったのかさえ、この映画ではよくわからない。未知の外洋をみつけて新航路を開拓すること? 各地に都市を築いてギリシア文化を世界に広めること? アレキサンダーの東征は領土の拡大? それとも故郷マケドニアからの逃走? アレキサンダーの植民政策は他文化の尊重? それとも文化侵略?
老いたプトレマイオスは過去を顧みて、「我々はあの人の夢について行けなかった」とつぶやく。だがこれは監督のオリバー・ストーンも同じではないのか。おそらくアレキサンダーは、すべての人の理解を超えた一種の怪物なのだ。せっかくプトレマイオスを語り部にしたのだから、怪物を怪物としてそのまま描けばいいのに、この映画は怪物を人間として描こうとして失敗しているように思える。
(原題:Alexander)
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