またの日の知華

2004/11/18 松竹試写室
ドキュメンタリー映画の鬼才・原一男監督初の劇映画作品。
ひとりのヒロインを4人の女優が演じている。by K. Hattori

 『ゆきゆきて、神軍』や『全身小説家』などのドキュメンタリー映画で知られる原一男監督の最新作は、ドキュメンタリーではなく劇映画だった。1960年代から70年代という日本にとって激動の時代を、地方都市出身の知華(ちか)というヒロインがいかに生きて死んでいったのかを、4人の男たちとの関係を通して綴っていく連作風のドラマ。映画は4人の男たちとヒロインの関係に対応した4部で構成されている。映画の冒頭は1960年の安保闘争に始まり、大学紛争ピークの東大安田講堂の攻防戦、連合赤軍の浅間山荘事件、過激派による丸の内のビル爆破事件、山形県酒田市の大火など、その時代に生きた人なら一目で「ああ、あの時のあの事件か!」と思うであろう事件を背景としてからめていく。もっとも1966年生まれの僕にとっては、どれもあまりピンと来なかったのだけれど……。

 夫と子供があるヒロイン知華は、優秀な中学教師として生徒や父兄からも慕われる存在。だが夫が病気療養で入院中に若い同僚と不倫関係になり、夫が退院してきた直後に夫と子と不倫相手を残してひとり出奔してしまう。東京で水商売の道に入った知華を不倫相手は東京まで追いかけ、いつしかふたりはホステスとヒモのような関係に。だがそんな生活の中で、知華はひとりの男と出会って殺されてしまう……。脚本を書いた小林佐智子は新聞の三面記事に触発されてこのストーリーを考えたのだというが、この物語そのものはきわめて陳腐なものだと思う。

 しかしこの映画では、その「陳腐さ」こそが作り手の狙いになっているように思うのだ。1960年代から70年代というのは、戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代の若者たちによって、新しい若者文化が台頭してきた時代だ。戦後生まれの若い世代が社会的な発言を始め、そこで一部の若者たちの発言と行動は反社会的なものにまでエスカレートしていく。新しい音楽、新しい文化、新しい生き方を、若者たちは模索していた。だがヒロインの知華は1940年生まれという設定で、団塊の世代よりひとつ上の世代に属している。戦前からの古い価値観と、新しい日本を生み出そうとする若者たちの間にはさまれて、行き場をなくしている。学生運動も、過激派の活動も、知華にとってはテレビの中のお話。知華はいつでも、社会に対して傍観者なのだ。

 もっともこれは、60年代から70年代という時代に限らない。この世に生きるほとんどの人は、社会に何の貢献もせず世に埋もれ、地味でダサくて陳腐な人生を生きるしかない。子供の頃の夢は破れ、どもまでも永遠に落下していく知華の姿は、どことなく我々自身にも通じるものがあるのではないだろうか。映画の中では知華を4人の女優が演じる。知華のような女は(そして男も)、この世には無数に存在しているのだ。この映画、本当ならエピソードごとに、男の俳優も全部入れ替えるとよかった。

2005年お正月第二弾公開予定 シネマスクエアとうきゅう
配給:ユーロスペース 宣伝:パンドラ
2004年|1時間54分|日本|カラー|ビスタサイズ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.shisso.com/chika/
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