弁天小僧

2004/10/04 映画美学校第2試写室
市川雷蔵主演の弁天小僧菊之助。監督は時代劇の巨匠・伊藤大輔。
見どころがぎゅっと詰まった1時間半。by K. Hattori

 河竹黙阿弥作の歌舞伎「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」は、通称「白波五人男」「弁天小僧」と呼ばれる人気演目。浜松屋で弁天小僧が啖呵を切る「知らざあ言って聞かせやしょう」という名調子や、五人男が勢揃いする「稲瀬川」のツラネが有名。これをもとに八尋不二が脚本を書き、時代劇の巨匠・伊藤大輔が監督し、主役の弁天小僧に市川雷蔵を迎えたのが、1958年(昭和33年)の本作『弁天小僧』だ。

 映画は舞台でも有名な浜松屋のエピソードを軸に、悪どい武家や商家から大胆に金をむしり取る弁天たち五人男の活躍、権力をかさに着て乱暴狼藉を繰り返す不良旗本衆の非道ぶり、弁天たちを捕らえようとする遠山左衛門尉(刺青奉行で有名な遠山の金さん)などをからめ、さらに弁天小僧の出自に「瞼の母」めいたエピソードを添えてみたり、劇中劇で歌舞伎の「弁天小僧」を再現してみせるサービスぶり。これが1時間半の中にギュギュッと詰め込まれて、じつに密度の濃い映画になっているのだ。

 雷蔵扮する弁天小僧は義賊や侠客というわけではなく、本来は血も涙もない大悪党として映画に登場する。映画の冒頭、隠居した大名の屋敷に若い娘が閉じ込められ折檻されていると聞きつけると、小姓姿で屋敷に乗り込んで娘を奪い返し、さらになにがしかの金品を差し出させて戻ってくる。これで娘を家に帰してやれば正義の味方だが、何のことはない、この娘は女郎屋に売り飛ばされてしまう算段なのだ。映画はこの導入部を弁天一味の視点で描かず、同じ噂を聞きつけた不良旗本たちの視点で描き出すところに工夫がある。こうすることで、映画の後半まで尾を引く五人男一味と不良旗本たちの対立を、観客に強く印象づけているわけだ。

 売り飛ばすつもりでいた娘を逃がしてやったことから、その娘に惚れられるというエピソードもいい。娘と弁天が恋仲になるというわけではないのだが、娘の純情一途な表情が、ややもすると殺伐とするこの物語に温もりを与えている。その娘の話が浜松屋につながり、さらに不良旗本たちとも繋がっていくというストーリーの妙。見せ場も多く、最後の大捕物などスケールの大きな絵作りにはなっているが、物語の筋立てとしてはごくごく小さな話なのだ。

 屋根に逃れた主人公を御用提灯が取り囲む大捕物は、サイレント時代の『御誂次郎吉格子』や戦後すぐの『素浪人罷通る』でも見せた伊藤大輔監督の十八番。ワイド画面いっぱいに群がった提灯が、サーッと移動していく様子は映画ならではのカタルシス。これはテレビの小さい画面では決して味わえないものだと思う。

 弁天小僧が浜松屋の娘の婚礼に乗り込んでいくシーンは、時代考証にうるさい伊藤大輔らしさか少々説明が回りくどく、野暮ったい感じもする。しかしこれはこれで、雷蔵と勝新という2大スター顔合わせの楽しさがあって面白い。

11月27日〜30上映予定 「艶麗 市川雷蔵祭」シネスイッチ銀座
配給:角川映画
1958年|1時間26分|日本|カラー|シネスコサイズ
関連ホームページ:http://kadokawa-pictures.com/rai-sama/
ホームページ
ホームページへ