オールド・ボーイ

2004/10/04 メディアボックス試写室
ある日突然誘拐されて15年も監禁された男の運命は……。
カンヌ映画祭グランプリ受賞作。by K. Hattori

 ある日突然何者かに拉致され、理由も告げられぬまま15年も監禁され続けた男が、自分を監禁した男を見つけ出して復讐する話。原作は日本のコミック誌「漫画アクション」に1996年から98年まで連載された、土屋ガロンと嶺岸信明の共作による同名コミック。身に覚えのない理由で捕らえられ……という話はデュマの小説「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」が有名だが、この『オールド・ボーイ』には「無実の罪で」とか「友人の裏切りで」という監禁に至る理由が示されない。この物語の中ではその「理由」を知ることが、相手に対する「復讐」と同じくらい重要な意味を持っているのだ。

 監督と共同脚本は『JSA』のパク・チャヌク。監禁される男オ・デスを演じるのは『シュリ』『ハッピーエンド』のチェ・ミンシク。監禁する男を演じるのは『リメンバー・ミー』『春の日は過ぎゆく』のユ・ジテ。解放されたデスと知り合い愛し合うようになる若い女ミドをカン・ヘジョンが演じている。ドラマのスケールは大きく、テーマも深く掘り下げられている作品だが、主要登場人物と言えるのはこの3人だけ。小さな道具立てで、大きな世界を描いているのだ。

 映画の筋立てについてあまり語るとネタばれになってしまうが、この映画が描き出そうとしているのは「罪」の問題なのだと思う。人は生きている中で、意識するしないに関わらず大小さまざまな罪を犯す。「自分は何も悪いことをしていないぞ」というのは、「罪」の有無とは関係がない。たとえ本人がそれを意識していなくても、生み出された罪は罪として断罪されてしまうのだ。

 この映画の主人公オ・デスは、自分にとってまったく身に覚えのない「罪」の償いを求められている。だが罪の精算を求める男自身も、やはり「罪」を犯している。それどころか、この映画の中に無垢な人間は誰ひとりとしていない。積み重ねられた罪の中で、のたうちながら生きていくしかない人間の悲惨。それがこの映画のベースとなる「悲しみ」の正体なのだ。

 『オールド・ボーイ』はミステリー仕立てのサスペンス映画だが、突き詰めていけば哲学や宗教の領域にまで達してしまう「人間と罪」の問題を、手を弛めることなくとことん追求していく。罪にまみれ、汚れきった人間に、はたして救済はあり得るのか? この映画はその救済を、人間の不完全さの中に見いだそうとしているようだ。人は不完全さゆえに罪を犯すが、その罪は、罪を生み出した人間の不完全さの中でのみ解消される。なんたる皮肉か!

 この映画がカンヌ映画祭でグランプリを受賞したのは、ストーリーの面白さに加え、こうしたテーマの深みがあればこそだろう。ハリウッドは早速この映画のリメイク権を買ったそうだ。日本のマンガから生まれた物語が、韓国経由でハリウッド映画化。嬉しいような、寂しいような、ちょっと複雑な気持ち。

(英題:Oldboy)

11月6日公開予定 シネマスクエアとうきゅう、有楽町スバル座他
配給:東芝エンタテインメント 宣伝:メディアボックス
2003年|2時間|韓国|カラー|1:2.35|ドルビーSDR
関連ホームページ:http://www.oldboy-movie.jp/
ホームページ
ホームページへ