春夏秋冬そして春

2004/09/21 松竹試写室
山寺の春夏秋冬が主人公の人生とオーバーラップ。
寓意と象徴性に満ちたキム・ギドク監督作。by K. Hattori

 『魚と寝る女』や『悪い男』で男女の性と情念の世界を描いてきたキム・ギドク監督の新作。山奥の小さな湖に浮かぶ寺を舞台に、ひとりの男の人生を季節の移ろいになぞらえた作品だ。キム監督の作品はいつでも象徴性と寓意に満ちているが、今回の映画はそれが特に先鋭化している。ここに登場する人物には固有の名前すらない。湖に浮かぶ寺も現実には存在し得ないものだ。極度に簡素化された舞台装置の中に、永遠の時の流れが閉じこめられている。

 物語はタイトルの通り、大きく4つのパートとエピローグからできている。動物を虐待する少年に、老僧が命の重みを教える「春」。季節は移ろい「夏」になると、少年は青年へと成長し、寺を訪れた少女と関係を持つことをきっかけに寺を離れていく。やがて「秋」。青年は大人に成長し、俗世の中で汚れてしまう。殺人という大罪を犯した男は、少年時代を過ごした寺に戻ってくる。「冬」になる頃、寺にはもう老僧の姿はない。服役を終えて寺に戻った男は、もう中年になっている。彼は荒れ果てていた寺を継ぐ決意をするが、そこに赤ん坊を連れた女がやってくる。エピローグは「そして春」。寺に預けられた赤ん坊は少年に成長し、男はその子どもを見守っている……。

 ここで描かれているのは、永遠に繰り返される春夏秋冬と人間の人生の類似性だが、それが仏教的な輪廻思想になっているわけではないと思う。映画の最後に出てくる男と少年の姿は、確かに映画冒頭の老僧と少年の姿と重なり合う。しかしふたつの人生は別々の人生なのだ。映画の主人公が過ごした人生の春夏秋冬と、彼の親代わりとなった老僧の春夏秋冬、主人公が世話することになる少年の春夏秋冬はそれぞれ別のものだ。同じ夏でも、過ごしやすい夏もあれば、ことさら厳しい猛暑の夏もある。しかしそうした差を乗り越えて、季節は何度も巡ってくる。世代を超えて繰り返される生と死。前の世代の生は、つぎの世代の生へと受け継がれる。これは仏教的な死生観というより、儒教的なそれに近いのかもしれない。

 キム・ギドク監督作品の常で、映画の中には直接的な性描写もある。しかしこれはセックスを通して、主人公が外部の世界とつながっていくという重要なエピソード。成熟した肉体を持つに至った主人公がごく自然に少女と結ばれる様子に、この監督特有の露悪趣味のようなものは感じられない。それは発情期を迎えた動物の交尾のように、自然で素朴なものとして描かれる。

 湖の中に孤立した寺で、手こぎのボートが1艘だけ。これでどうやって2人の人間が岸と行き来するのか不思議でならなかったのだが、その謎は映画の終盤になって解き明かされる。これはもう人間界の出来事ではなく、仙界の出来事ではないか。湖に浮かぶ寺が、音もなくゆっくりと動くシーンの美しいこと! 監督自身「冬」の場面に出演。それだけ思い入れたっぷりの作品なのだろう。

(英題:Spring, Summer, Fall, Winter... and Spring )

10月下旬公開予定 Bunkamuraル・シネマ
配給:エスピーオー 宣伝:アニープラネット
2003年|1時間42分|ドイツ、韓国|カラー|ビスタ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.kimki-duk.jp/spring/
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