17歳の処方箋

2004/08/05 メディアボックス試写室
キーラン・カルキン主演の少々ひねくれた青春ドラマ。
僕は主人公にまったく共感できない。by K. Hattori

 若い兄弟が母親を殺すという、かなりアンモラルでショッキングな場面から始まる映画。ただしその描写は軽やかなコメディタッチで、この母殺しが凄惨な「殺人事件」ではないことが観客には察せられる仕組みだ。映画はここから回想になり、兄弟がなぜ母を殺さねばならなかったのかが描かれる。

 主人公は17歳のイグビー。資産家の両親と兄弟ふたりで育った彼だが、父親はイグビーが幼い頃に精神分裂病の発作を起こして現在も入院中。その後は母が一家のすべてを取り仕切り、兄は母の期待に沿ってエリートコースを歩んでいる。だがイグビーは学校でも家庭でも徹底的に反抗的な態度を貫き、これまで何度も退学と転校を繰り返す始末。業を煮やした母親から士官学校に入学させられてしまった彼は何とかそこを脱出し、ニューヨークにいる名付け親D.Hを訪ねるのだが……。

 イグビーを演じるのは『マイ・フレンド・メモリー』のキーラン・カルキン。彼を物心両面で支配する怪物じみた母ミミをスーザン・サランドン、家族に対する義務感のプレッシャーからか突如ぶっ壊れてしまう父ジェイソンをビル・プルマンが演じる。優等生で家族からも親戚からも一目置かれ、それでいて嫌味で女たらしの兄オリバー役はライアン・フィリップ。イグビーの恋人(?)スーキーを演じるのはクレア・デインズ。名付け親のD.H役はジェフ・ゴールドブラムで、その愛人レイチェル役はアマンダ・ピート。その友人ラッセル役がジャレッド・ハリス。監督・脚本のバー・スティアーズは『10日間で男を上手にフル方法』の脚本家で、今回の映画が監督デビュー作だという。

 映画を観ても「お金持ちもそれなりに大変ね」という感想しか持てないのだが、主人公を経済的に不自由のない環境に置くことで、思春期特有のねじけた心の問題を純粋に描くことができるという面はあるのだろう。イグビーが抱えている問題は、経済問題ではないし、進路の問題でもない。そんなものは、すべて母親がお膳立てしてくれるのだ。彼は家族と自分の問題や、自分自身の中にある矛盾の中でもがいている。こうした問題は、たぶん思春期の少年少女なら誰でも少しは経験しているものなのだ。しかしこうしたイグビーの悩みに共感できるかというと、これはまったくダメでした。映画は学校でイグビーがいじめられている場面から始まるのだが、僕が同じ年頃の少年だったなら、僕は絶対にイグビーをいじめる側に立っていると思う。

 イグビーが母親の死によってようやく母への愛情を素直に表現できたり、母の死によって家族の呪縛から解放されるようになる場面は皮肉もいいところ。彼が最後に父を見舞う姿を見る限りでは、彼が求めたのはやはり「家族」だったのだろうと思う。家族の誰からも愛されないと信じることで、かろうじて自分のアイデンティティを保持している少年の不幸。やっぱり僕には共感できないなぁ。

(原題:Igby Goes Down)

9月11日公開予定 銀座シネパトス、シネマメディアージュ
配給:エスピーオー 宣伝:アルシネテラン
2002年|1時間38分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.17-shohou.com/
ホームページ
ホームページへ