稀人(まれびと)

2004/07/29 映画美学校第1試写室
恐怖を求めて東京の地下を彷徨した男の見つけたもの。
これはホラー作家の自画像かもしれない。by K. Hattori

 映画番長シリーズの第3弾「ホラー番長」の中の1編。監督は『呪怨』シリーズの清水崇、主演は映画監督でもある塚本晋也というクセ球だ。直前に観た『運命人間』と同じく、これもホラーと言うよりは「奇妙な話」「不思議な話」の系列。しかし「生きた人間の血を吸うモンスター」や「恐怖に取りつかれた男」という存在が、この作品を紛れもない「ホラー映画」たらしめているように思う。

 フリーの映像カメラマン増岡は、ひとりの男が地下道でパニックを起こしてナイフを振り回し、自らの右目を刺して死ぬシーンを偶然撮影した。死の瞬間、その男は何を見ていたのだろうか? その恐怖の源泉に興味を持った増岡は、カメラを持って東京の地下深くに潜っていく。そこで見つけたのは、全裸のまま岩窟に鎖でつながれた少女。増岡はその少女を自宅マンションに連れ帰り、「F」と名付けて観察することにした。飲み物や食べ物をまったく受けつけようとしないFだったが、ある日彼女の好物が人間の生き血だとわかる。自分の身体を傷つけて血を与えていた増岡だったが……。

 映画はほとんどが増岡のモノローグで進行する。この映画はすべてが、増岡の一人称の世界なのだ。それが現実なのか幻想なのかわからないというのが、この映画のポイントになる。Fは常に増岡の視線の中に存在するが、はたして彼女は実在しているのだろうか。Fを見たり、Fに触れたりする人間は、増岡以外に誰もいない。地下道で死んだ黒木という男や、地下道の奥深くにひっそりと暮らしているホームレス、増岡にFの件で接近してくる黒づくめの男、地下の闇からわき出してきたデロ。これらの存在とFは、まったくの等価なのだ。ひょっとしたら、Fは増岡の心の中にだけ存在するのかもしれない。

 物語はFを育てようとする増岡の行動を描いていくのだが、この映画が本当に描こうとしているのは、恐怖を追い求める増岡の心理だ。日常の中で精神を疲弊させ、あらゆる感情に対して感覚が麻痺してしまった感覚。感情が大きく揺り動かされることは、もう長く失われてしまっている。そんな増岡が、最後に追い求めるのは「恐怖」なのだ。これは最近のホラー映画ブームの立役者である清水監督にとっても、共感のもてるテーマだったのではないだろうか。人はなぜ恐怖を求めるのか。人はなぜ恐怖に引きつけられるのか。恐怖の楽しみ。恐怖の歓び。この映画はホラー映画の作り手が、「恐怖」の根元を求める自問自答の旅のようにも見える。

 Fを演じた宮下ともみが可憐で、地底から現れたモンスターにはまるで見えないというアンバランスさ。しかしこれもまた、作り手の狙いではないか。何もないところに、何かを求めることこそがホラー映画の醍醐味。長い旅を終えた男は、少女の膝枕の上で恐怖に顔を引きつらせる。だが彼はその恐怖の中で、ようやく安らいでいるかのように見える。

10月上旬公開予定 ユーロスペース
配給:ユーロスペース 宣伝:イメージリングス
2004年|1時間32分|日本|カラー|16:9|DV
関連ホームページ:http://www.eigabancho.com/
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