らくだの涙

2004/07/02 映画美学校第2試写室
母ラクダに授乳を拒否された子ラクダの運命やいかに?
ラクダと暮らすモンゴル人一家の物語。by K. Hattori

 モンゴルのゴビ砂漠に、ラクダの群れと暮らす遊牧民の一家が暮らしている。ラクダは一家にとって貴重な財産であると同時に、家族の一員でもある存在だ。やがて春の出産シーズンを迎えたラクダたちだったが、すべての出産がうまく行くとは限らない。この年は1頭のラクダが難産の末に子どもを産み落としたものの、その後の授乳を拒否するという事件が起きた。ラクダの飼育に長けた遊牧民一家は、何とかして母ラクダに子ラクダを育てさせようとするのだが、母ラクダは子育てをかたくなに拒む。だが一家は少しもあわてない。モンゴルには子育てを忘れた母ラクダに効果的な、ある伝統の秘策が伝わっているからだ。それは音楽家を呼んで、ラクダに演奏と歌を聴かせることだった……。

 本作『らくだの涙』は、ミュンヘン映像映画大学で映画製作を学ぶモンゴル人のビャンバスレン・ダバーとイタリア人のルイジ・ファロルニが、学校の卒業制作として作ったドキュメンタリー映画だ。ドキュメンタリー映画ではあるのだが、ストーリーの骨格がしっかりしていて、随所に意図的な演出があることもはっきりしている。ファロルニ監督はこの作品を「物語風ドキュメンタリー」と呼んでいて、方法論としては『アラン』などで知られるドキュメンタリー映画監督ロバート・J・フラハティを強く意識しているという。取材対象の「真実」を伝えるために、時に再現や演出もいとわないという姿勢だ。

 映画に登場するモンゴル人家族たちは、俳優ではなく実際に遊牧生活をしている一家だ。ただし彼らは映画の中で、自分たち自身を“演じ”ている部分もある。それによって物語の流れがスムーズになり、テーマがくっきりと浮かび上がってくる。人間は「再現」や「演出」が可能だが、ラクダにそれを期待することはできない。ラクダの出産も、授乳の拒否も、すべて実際に起きたこと。映画の中では遊牧民一家の描写に大きな時間が割かれているのだが、映画を観終わった後に印象に残るのはラクダ親子のドラマだ。演出や再現でスムーズに流れた人間のドラマは背景に退き、ラクダ親子の物語が前景に飛び出してくる。

 子ラクダを足蹴にしたり噛みついたりする母ラクダと、そんな母ラクダを求めて悲しげな声を上げる子ラクダの姿は、昨今日本でも話題になっている「幼児虐待」を連想させる。母ラクダにも同情すべきところはあるのだが、映画を観ている人たちは誰だって、子ラクダがあまりにも気の毒で、その行く末をハラハラしながら見守ることになる。ところが遊牧民一家は、そんなラクダの母子関係にも少しも動じない。「困ったことだなぁ」とは思っていても、「なんとかなるさ」と堂々と構えている。あの手この手で、なんとか子ラクダに母ラクダの乳を飲ませようとするシーンがユーモラスなのは、そこにあまり深刻さがないからだろう。そして最後は、本当になんとかなってしまうのだから驚く。

(原題:Die Geschichte vom weinenden Kamel)

夏公開予定 Bunkamuraル・シネマ
配給:クロックワークス 宣伝:樂舎
2003年|1時間31分|ドイツ|カラー|アメリカンビスタ|SD-R
関連ホームページ:http://www.klockworx.com/rakuda/
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