天国の青い蝶

2004/06/30 東芝エンタテインメント試写室
実話をもとにしたドラマだがキャラクターが平板。
ジャングルの自然の風景は美しい。by K. Hattori

 脳腫瘍で余命わずかと診断された少年が、世界的な昆虫学者と一緒に「幻の蝶」を探す旅に出る物語。1987年に実際にあった実話を、ウィリアム・ハート主演で映画化している。監督は『翼をください』のレア・プール。病気の少年をマーク・ドネイトが演じ、その母役で84年の『ソナチネ』でヒロインを演じたパスカル・ブシェールが出演している。

 昆虫好きの少年ピートは、まだ10歳なのに末期の脳腫瘍で明日をも知れぬ命。彼は自分の短い生涯の最後に、南米の美しい蝶ブルーモルフォを捕らえたいと考えている。ブルーモルフォは有名な昆虫学者アラン・オズボーンが監修したテレビ番組で、出会った者の運命さえ変える神秘的な蝶と紹介されていたのだ。ピートは自分もその神秘に触れて、人生を変えたいと願うのだ。ピートと母はアランと一緒にブルーモルフォを探す旅に出たいと願い出るが、彼は母子の不幸な境遇に十分同情しつつもこの申し出を断るが、ピートの並々ならぬ決意にほだされて、とうとう南米への旅に出発する。

 映画は実話をそのまま映画化しているわけではなく、登場するキャラクターやエピソードを映画的に創作している部分も多い。そのためだろうか、登場するキャラクターの名前も実際の名前とは変えてある。モデルになった昆虫学者はジョルジュ・ブロッサール。少年の名前はダヴィッド・マランジェだった。映画は「昆虫学者と病気の少年が蝶を探す旅に出る」という実話の骨格だけを借りて、あとは自由にドラマを創造しているのだ。少年が家出同然に旅に出ようとするとか、昆虫学者の過去とか、少年の母と昆虫学者のロマンスとか、いよいよ蝶を捕らえようとした時に起きた事故とか、こうしたことはすべて映画の創作だと思う。

 実話をよく知らないくせに、なぜ映画のエピソードを「創作だ」と簡単に言いきれるのか。それはこの映画のドラマ部分が、やけに嘘っぽいからに他ならない。そうなってしまった一番の原因は、登場人物たちの造形が薄っぺらだからだ。主役格の登場人物たちの人間像に、生身の人間なら当然持っている凸凹がない。このためノッペリとした、陰影の乏しい造形になってしまっている。凸凹というのは、例えばその人間が持っている長所と弱点のことだ。強さと弱さのことだ。性格や行動に現れるその人独特の偏りのことだ。この映画に登場する人たちは、どの人物も悪い意味で中庸に感じられる。

 その最たる例が、ピート少年だろう。この人物には人間の「弱さ」が感じられない。肉体的な弱さは当然持っているのだが、この少年は最初から最後まで精神的にくじけることがない。どんな逆境にあってもくじけることがない人間を、観客は応援したいと思うだろうか? 観客は登場人物の強さに拍手を贈るのは、その人物の「弱さ」に共感しているからではないだろうか。少なくとも僕にとって、この少年は立派すぎる。

(原題:The Blue Butterfly)

8月中旬公開予定 シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館、関内MGA
配給:東芝エンタテインメント
2003年|1時間36分|カナダ、イギリス|カラー|ヴィスタ|SRD
関連ホームページ:http://www.bluebutterfly.jp/
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