娘道成寺

蛇炎の恋

2004/06/10 松竹試写室
中村福助と牧瀬里穂で演じられる現代の安珍清姫。
見どころは「娘道成寺」の舞台シーン。by K. Hattori

 歌舞伎舞踊の人気演目「京鹿子娘道成寺」をモチーフに、恋する男を追う女と、自分を恋い慕う女から逃げ続ける男の姿を描く恋愛ドラマ。安珍清姫の伝説をもとにした「娘道成寺」を稽古する歌舞伎役者と女弟子の恋の葛藤を、「娘道成寺」の元になった安珍清姫伝説と重ね合わせていくのだが、ここではさらに女弟子を双子の姉妹にして、太古の昔から続く「追う女と逃げる男のドラマ」の繰り返しを強調しようとしているようだ。

 秋月遥香と詩織は、ともに当代一流の舞踏家として注目を集めていた双子の姉妹。姉の遥香はコンテンポラリー・ダンス、妹の詩織は日本舞踊の踊り手だ。だが詩織は念願の舞台「京鹿子娘道成寺」の開演直前に、舞台衣装を身に着けたまま高層ビルから投身自殺してしまう。妹の死に衝撃を受けた遥香はダンスの稽古にもまるで身が入らない。妹はなぜ死んだのか。なぜ舞台衣装を身にまとったまま死なねばならなかったのか。遥香は詩織の師匠である名女形・村上富太郎の舞台に感銘を受け、自分にも「娘道成寺」を教えてほしいと富太郎に頼み込むのだが……。

 ��獲概�甸篤弔��攻年のデビュー作『風のかたみ』も観念的な恋愛ドラマだったけれど、今回の映画もまったく同じように観念的なドラマになっていた。この映画の登場人物たちは、なぜこれほどリアリティのない台詞を語るのか。なぜいつも力みかえっているのか。なぜ感情より先に、言葉と体が先に動くのか。これは監督がただ単に下手くそなのか? 前作『風のかたみ』の時、僕はこの監督が下手なのだと思った。確かに下手な部分もある。でもどうやらそれだけではないらしい。この監督はこうした観念的なドラマを、わざわざ作ろうとしているようだ。

 舞台劇のように演じられる空間そのものが抽象的に処理されている場合、こうした観念的なドラマも作りやすかろう。かつては映画もステージの中に人工的な空間美を作り出せたが、この映画のようにロケが多い作品では、よほど工夫しないと空間が卑近な生活臭を漂わせてしまう。こうなると空間の方が存在を主張してしまって、絵空事の観念的な人間ドラマなど吹き飛ばされてしまうのだ。最近の映画で観念ドラマを成立させていたのは、吉田喜重の『鏡の女たち』が思い浮かぶけれど、これも空間演出にはずいぶんと工夫を凝らしていた。『娘道成寺〜蛇炎の恋』の中でもっとも美しい瞬間は、映画の最後に富太郎が高野山に「娘道成寺」を奉納する場面だが、これは舞台という人工的な空間だからこそ、絵空事の人間がきちんと映えるのだ。

 安珍清姫伝説はこのドラマの下敷きなのだから、それを映画の導入部できちんと説明した方がいいと思う。富太郎役の中村福助の踊りは本物の迫力だが、牧瀬里穂が踊れないのはともかく、花丸や秀次役にもちゃんと踊れる歌舞伎役者を連れてくればよかったのではないだろうか。踊りはこの映画の見せ場だろうに。

8月28日公開予定 東劇
配給:パンドラ
2003年|1時間50分|日本|カラー|ビスタサイズ|ドルビーSR
関連ホームページ:http://www.jaen.jp/
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