コンクリート

2004/05/07 GAGA(赤)試写室
89年に起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件の映画化。
映画の作りが中途半端すぎる。by K. Hattori

 1989年に東京足立区で発生した女子高生コンクリート詰め殺人事件を、渥美饒児のノンフィクション小説「十七歳、悪の履歴書」をもとに映画化した作品。ただしこの映画は、実際の事件の忠実な「再現」というわけではない。15年前には茶髪の女子高生などいなかったし、ポケットに入る携帯電話も発売されていなかった。つまりこの映画は15年前の事件を、現代の事件として再構成しているのだ。ただし少年グループの設定や犯行状況などは、現実の事件に沿う形でドラマ化されている。

 映画は「女子高生コンクリート詰め殺人」そのものと同じ時間をかけて、主犯格の少年・大杉辰夫がいかにしてこの凶悪な犯罪にたどり着いたのかを描いていく。高校を中退して建設現場で働き始め、結婚を約束している恋人がいるくせに、しばしばトラブルを起こして周囲を心配させる辰夫。彼は中学時代の同級生に誘われるままヤクザの事務所に出入りするようになり、組長の命令で「龍神会」という下部組織を作らされる。辰夫が声をかけたのは、やはり定職にも就かずブラブラしている中学時代の後輩たち。これが問題の事件の犯行グループとなる。

 僕は実際の事件や犯罪者を映画にすることを悪いことだとは思わないし、そこに道徳や社会正義も求めるつもりはない。しかし今回の映画は、実録犯罪映画としてはかなり中途半端なものに終わっていると思う。この映画からは、事件の中にある「人間」への共感や同情が感じられない。そもそもこの映画の主人公は誰なのだろう。映画は序盤でこそ主犯の辰夫に寄り添うようなそぶりを見せるのだが、彼が龍神会を結成して暴れ回るあたりから、辰夫に対してよそよそしくなる。行き当たりばったりに引ったくりやレイプを繰り返す彼らを、映画の作り手自身が持て余しているのだ。

 女子高生誘拐が起きてからの後半になると、映画はもはや完全に主役不在になる。主犯の辰夫は完全に主人公の座から降りてしまうし、誰かが彼に替わって主人公になるわけでもない。舞台のスポットライトを浴びている場所に誰も立たないまま、少女の陵辱やリンチという陰惨な劇だけが進行していくのを観ているのはちょっとしんどい。事件をフィクションとして再構成するのなら、物語の中に映画の作り手や観客がすんなり感情移入できる人物を創作してほしかった。

 事件は間違いなく少年たちの「性」を巡る事件なのに、性描写に消極的なことが映画を弱々しくしていると思う。別に三船美佳のヌードが観たいわけではないが、せめて辰夫と恋人のベッドシーンぐらいはあった方がよかったと思う。少年たちの生々しい性を描き損ねたことで、この映画に登場する少年たちは去勢されてしまったのだ。こんな映画を観ても、事件がなぜ起きたのか、事件の中で少年たちは何を考えていたのかという、本質的な部分にまるで手が届いていない不満が残るばかりだ。後味の悪い映画である。

※この映画は当初銀座シネパトスでの上映が決定していたが、抗議運動の盛り上がりにより上映は中止に追い込まれ、その後渋谷のアップリンクファクトリーで公開された。発売されたDVDの取り扱いをやめたところも多く、Amazonは当初扱っていたものの、抗議の声に押されて扱いを中止した。(このページからのリンクは商品扱いがかつて存在した証拠に残してある。)2ちやんねるなどでは『コンクリート』が集中砲火を浴びる形になったが、同じ事件を扱った別の映画がDVD化されていることはあまり話題になっていないようだ。それは川崎軍司監督の1997年作品『少年の犯罪』。Amazonでの扱いはないが、DiscStationで購入できるほかオンラインDVDレンタルのGEOLANDで借りることもできるようだ。僕自身は未見。(2005/3/7追記)

公開未定 公開劇場未定
6月29日 ビデオ・DVD発売
配給:ベンテンエンタテインメント
2004年|1時間30分|日本|カラー|ビスタサイズ|DV
関連ホームページ:http://www.benten.org/concrete/
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