きわめてよいふうけい

2004/04/09 映画美学校第2試写室
写真家ホンマタカシが撮った写真家中平卓馬の現在。
映画としては退屈な「映像作品」。by K. Hattori

 写真家ホンマタカシが、写真家中平卓馬を撮ったドキュメンタリー映画。これは「中平卓馬について撮ったドキュメンタリー」ではなく、あくまでも「中平卓馬を撮ったドキュメンタリー」なのだ。プレス資料は『これはドキュメンタリーではない。あるひとりの写真家を見つめた〈ポートレイトムービー〉である』と宣言しているのだが、これはまさにそういう映画だと思う。この映画を観ても、「中平卓馬について」のモロモロはさっぱり理解できない。この映画に映し出されているのは、ずばり「中平卓馬」というその人の存在だけなのだ。

 ホンマタカシは98年に木村伊兵衛賞を受賞した翌年、対談したジャーナリストの大竹昭子に中平卓馬との類似性を指摘されている。そもそもホンマタカシと中平卓馬は、似た気風と肌触りを持った写真家だったのだ。その後01年にはスタジオボイス誌上で、中平卓馬の写真とホンマタカシの文章による連載「きわめてよいふうけい」が開始される。今回の映画は、その延長上にあるものなのだろう。

 映画は中平卓馬が、自分自身の日誌を読み上げている場面から始まる。低く聞き取りにくいボソボソした声で読まれる日記は、日々の起床時間と就寝時間を几帳面に記録している。それは個人の「日記」と呼ぶにはあまりに潤いのない、無味乾燥な生活記録なのだ。この人物は、相当にヘンテコな人であるということがこの段階で伝わってくる。

 中平卓馬は雑誌編集者から写真家に転身し、70年代初頭には写真界の論客として華々しく活動していたそうだ。だが77年9月に急性アルコール中毒で昏睡状態になり、気が付いた時にはそれまでの記憶をほとんど喪失していたのだという。一度死の淵をのぞき込み、そこから生還したのが中平卓馬なのだ。病気療養を兼ねて翌年沖縄への旅に出た彼は、そこで再び写真を撮り始める……。

 中平卓馬の死と再生はそのまま劇映画にしても面白そうだが、この映画はそうした彼の波瀾万丈人生にはあまり深入りせず、ひたすら「中平卓馬の今現在」を追いかけていく。そうする必然性が、ホンマタカシ監督にはあったということだろう。

 上映時間40分の短い映画だが、ほとんど説明らしい説明のない淡々とした時の流れは単調で退屈。中平卓馬やホンマタカシという作家に興味のある人は別として、この映画に面白さを感じる人はあまりいないのではないだろうか。もう少し「作家論」や「作品論」に寄ってくれると、ずっと観やすい映画になっただろうに。だが〈ポートレイトムービー〉であるこの映画に、そうした説明は無用なのだろう。少しでも説明を始めた途端、この映画はまったく別種の作品になってしまうのだから。これは「映画」という枠組みで考えるより、写真家ホンマタカシの「映像作品」という枠組みでとらえるべき作品なのかもしれない。

5月下旬公開予定 ユーロスペース(レイト)
配給:リトル・モア、スローラーナー 宣伝:スローラーナー
2004年|40分|日本|カラー|16mm
関連ホームページ:http://www.littlemore.co.jp/cine/cinema.html
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