バカンスシーズン以外は人気もまばらな、フランスの小さな田舎町。列車でふらりと町にやってきた中年男ミラン、たまたま立ち寄った薬局でマネスキエという老人と出会う。シーズンオフでホテルが閉鎖されていたため、ミランはマネスキエの家に厄介になることになった。「土曜日には出て行く」というミランに、「土曜日には私も用事がある」と応えるマネスキエ。こうしてふたりの男の、奇妙な交流が始まった……。
監督はパトリス・ルコント。ミランを演じているのはジョニー・アリディ。マネスキエ役はルコント映画の常連ジャン・ロシュフォール。老人が若者と出会う映画は数限りなく存在するが、老人が自分より少し年が下の中年男と出会う話になっているのはユニーク。ふたりは共に、人生を変えたいと願っている。老人は謹厳実直に生きてきた人生を振り返り、死を目の前にした年になって、自由人かアウトローのように生きてみたいと思う。一方老人が願う自由人やアウトローとしての人生を送ってきた中年男は、老いを感じる年齢になって、真面目な小市民的生活の中に本当の幸せがあるのではないかと思い始めている。
既に人生の終わりを見ようとしているふたりの主人公が、それでもなお自分の生きる道を変えたいと願う姿は身につまされるものがある。人生の半ばを過ぎて、「我が人生に悔いはなし」と言える人は少ないのだ。とりたてて自分の生きてきた道に不満があるわけではない。自分の生き方にはそれなりの自負も自信も持っている。だがそれでも「こうではない生き方もあったかもしれない」とか「これからでもやり直しができるかもしれない」と思うのが人間なのだ。しかし現実には、第2の人生に踏み出すのは難しい。
上映時間1時間半のシンプルな物語だが、主演ふたりの年期の入った芝居には、シンプルな物語に幾重ものドラマのひだを付けるだけの説得力と芸がある。饒舌なマネスキエに辟易していたミランが、なぜ彼に惹きつけられてしまうのか。その理由は明確に描かれていないし、逆にマネスキエの正体になぜミランが気づいたのかもはっきりとは描かれていない。でも映画を観ている観客だってお節介焼きのマネスキエを少しずつ好きになるのだから、ミランが彼を好きになっても当然なのだ。観客はミランの正体に気づくのだから、マネスキエだって同じことに気づいて不思議ではない。この映画は観客を巧みに説得することで、登場人物たちが相手に抱く感情に不自然さを感じさせない。これは失敗したら目も当てられないかなりの高等戦術だが、ルコント監督はそれを簡単に済ませている。
映画のラストが現実か幻想かに悩む人は多いと思うが、これはそのどちらでもない。これは映画を観る人の「願望」を映像化したものなのだ。この映画はこうして、最後の最後まで観客を映画の中身に巻き込んでいく。これはなかなか面白い映画だと思う。
(原題:L'HOMME DU TRAIN)