9000マイルの約束

2003/11/20 東宝第1試写室
戦後ソ連に抑留されたドイツ人が収容所を脱走した実話の映画化。
主人公の過酷な旅をロケ撮影で再現している。by K. Hattori


 第二次大戦で戦勝国となったソ連は、大量の戦争捕虜を確保して国内各地の収容所に送った。捕虜たちに強いられたのは、鉄道建設や炭坑採掘などの重労働だ。捕虜にこうした労働を強いるのは明白な国際法違反だったが、ソ連は国際社会の非難にも関わらず捕虜に対する強制労働を継続した。旧満州でソ連の捕虜になった日本人たちが、10年以上も不当に拘束されて強制労働に従事させられた「シベリア抑留」では、現地で命を落とした人たちの数が数万人におよぶという。だがソ連に抑留されていたのは日本人だけではない。戦争に負けたドイツ人も、不当に身柄を拘束されて極寒の地での強制労働を強いられていた。

 終戦直前に出征しソ連の捕虜となったクレメンス・フォレル中尉は、戦犯として禁固25年の有罪判決を受ける。彼と同様に捕虜となったドイツ人たちは列車でシベリアに送られるが、捕虜の約3分の2は移動中に飢えや寒さで命を落とした。だがたどり着いた捕虜収容所も地獄だった。飢えと寒さに加え、危険な鉱山での労働や、劣悪な衛生状態から生じた赤痢が収容者たちを襲う。フォレルはそこで4年を耐えるが、ドイツ人医師の協力を得てついに脱走に成功。しかし収容所の場所はベーリング海峡に近いユーラシア大陸の東端。移送されたときは貨車だったが、脱走者が頼れるのは自分の足だけだ。フォレルは追跡の手を逃れながら、ドイツまで1万キロ以上の道を歩いていく。

 この驚くべき冒険の物語は実話だという。1949年にデジネフ岬の収容所を脱走したフォレルは、丸々3年をかけて広大なソ連を横断し、出征から8年後の1953年、無事我が家にたどり着いたという。この物語は1959年に一度ドイツでテレビドラマになっているそうだが、映画化されるのは今回が初めて。監督は『カスケーダー』のハーディ・マーティンス。はっきり言って『カスケーダー』はアクションだけの能天気な映画だったので、その監督がこんな映画を撮るというのが意外に思えた。

 映画の見どころは、実際にロシアで撮影した広大な風景にある。例えばコンパスだけを頼りにして真っ白な世界を歩き続けたあげく、目の前にある小さな木をみつけて主人公が涙を流すシーンなどは、ロケ撮影でなければ白々しいものになってしまうと思う。雪と氷に閉ざされたシベリアの冬が、春から夏にかけて一気に色鮮やかな森林地帯に変貌するダイナミックな自然描写。ソ連各地に点在する少数民族たちの暮らし。地球を3分の1周するほどの移動距離を、映画の中で空間的広がりを持つ距離として描くことは難しいのだが、この映画は距離的なダイナミズムを自然や風俗の変化という別種のダイナミズムに置き換えることで表現しているのだ。時間経過は家に残る娘や息子の成長ぶりを通して描かれるのだが、こうして父の帰りを待つ家族の姿をフォローしていることで、ラストシーンの感動は一段と高まっている。

(原題:SO WEIT DIE FUSSE TRAGEN)

1月17日公開予定 日比谷スカラ座2
配給:東芝エンタテインメント、アルシネテラン
宣伝・問い合わせ:アルシネテラン
(2001年|2時間38分|ドイツ)
ホームページ:
http://www.alcine-terran.com/main/asfaras.htm

DVD:9000マイルの約束
原作英訳本:As Far as My Feet Will Carry Me
関連DVD:ハーディ・マーティンス監督
関連DVD:ベルンハルト・ベターマン

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