炎の戦場エル・アラメイン

2003/11/18 メディアボックス試写室
北アフリカでドイツ・イタリア連合軍とイギリス軍が激突。
エル・アラメインの戦いをイタリア側から描く。by K. Hattori


 第二次大戦中の1941年2月。リビアに派遣されたロンメル将軍は、ドイツとイタリアの連合軍を率いてエジプト目指して進軍を開始。持ち前の機動力を生かして、あれよあれよという間にアレキサンドリアを目前に控えた交通の要所エル・アラメインに到達した。だがこれを迎え撃ったのがイギリスのモントゴメリー将軍。補給不足のドイツ・イタリア軍はここで足が止まって戦闘は膠着状態。補給十分の英軍に対してドイツ・イタリア軍の補給はままならず、ついに42年10月にイギリス軍の大反撃を受けて敗退する。この映画はひとりのイタリア人兵士の目を通して、エル・アラメインの戦いを描く戦争映画だ。

 エル・アラメインの戦いはかなり規模の大きな戦闘だったようだが、この映画からその規模を見て取ることはできない。この映画は戦争というものを、その中にいるひとりの人間の視点で描くことに徹しているからだ。戦場がどれほど広大な空間に広がろうと、そこにどれほど大量の兵員が投入されようと、そこに実際に立つ兵士にとっては、自分の目で見て耳に聞こえてくる範囲だけが戦争のすべてだ。この映画の場合、それはイギリス軍と対峙する小さな塹壕であり、塹壕の外に広がる一面の砂漠と、それを仕切る鉄条網でしかない。敵兵の姿は見えない。敵の存在は時折飛んでくる迫撃砲弾や狙撃手の存在によって、間接的に体感することができる。

 この戦闘ではイタリア軍の補給がほとんど途絶え、戦車や車両はもちろんのこと、補充人員や弾薬、食料や水の確保にさえ事欠く貧乏所帯だったという。こうした場合前線の部隊と後方との連絡が完全に途絶えてしてしまえば、前線部隊は撤退や投降などの独自判断が求められるようになるのかもしれない。ところがこの最前線には、細々とだが形ばかりの補給が続けられ、電話や無線や伝令を使って作戦指令が届けられてもいる。前線の兵士は生かさず殺さずの状態で放置されている。それがどんなに苦しくても、どんなに理不尽なことでも、命令に従い続けるしかないのだ。

 映画は本国での戦争報道を信じ、現地の実情を何も知らないまま前線にやってきた若い志願兵セッラの目を通して見た戦場が描かれる。こうして「何も知らない人間」を特殊な状況に落とし込むことで、映画の観客も「何も知らない状態」から最後にはいっぱしの「事情通」になることができるわけだ。これ自体はよくあるパターンだが、この映画では戦争に対する前線と後方の認識の差、情報ギャップを、セッラの存在によって象徴してもいる。前線の実情が本国に何も知られていないことは、映画の途中で出てくるムッソリーニの馬のエピソードでもよくわかる。

 個人と戦争という趣旨や低予算の戦争映画という事情もわからぬではないが、途中で1ヶ所だけでも、大規模な戦闘の全体像が見渡せる大きなショットがほしかった。それで映画のスケールはずっと増しただろう。

(原題:El Alamein)

1月17日公開予定 銀座シネパトス
配給:ギャガ・コミュニケーションズ、アニー・プラネット
宣伝:アニー・プラネット
(2002年|1時間53分|イタリア)
ホームページ:
http://www.gaga.ne.jp/

DVD:炎の戦線エル・アラメイン
関連DVD:エンツォ・モンテレオーネ監督

ホームページ

ホームページへ