アンテナ

2003/10/29 メディアボックス試写室
田口ランディの同名小説を映画化。前半は面白いけど結末は……。
熊切和嘉監督の演出手腕はなかなかのものだと思う。by K. Hattori


 田口ランディの同名小説を、『鬼畜大宴会』『空の穴』の熊切和嘉監督が脚色・監督した心理サスペンス映画。同じ原作者の『コンセント』も中原俊監督にいよって映画化されているのだが、今回の映画は監督も脚色も出演者もまるで違う顔ぶれなのに、映画の雰囲気はまるで瓜二つ。原作は未読なのでよくわからないのだが、これが田口ランディ作品のタッチなのだろうか。それとも製作会社が同じでプロデューサーが一部共通していることから、作風がどことなく似る結果になったのだろうか。

 大学院に通う萩原祐一郎のもとに、実家の母から突然電話がかかってきた。行方不明になっていた祐一郎の妹・真利江が、とうとう発見されたというのだ。テレビニュースでは誘拐された少女がおよそ10年ぶりに発見保護された事件を伝えているが、保護された少女は真利江とは別人だった。だが母は「真利江が帰ってくる」と狂喜し、弟の祐弥までが突然「真利江が来る!」と叫んで倒れてしまう。家族の中で触れることすらタブーとされていた事件が、遠く離れた土地で起きた別の事件によって再び目覚めてしまったのだ……。

 物語の導入部から展開部まではとても面白い。それは『コンセント』と同じだ。『コンセント』は主人公の兄の死から始まる物語だったが、『アンテナ』は幼い少女が神隠しのように忽然と姿を消す事件が発端。残された家族には大きな謎が残される。なぜ兄は死んだのか? なぜ妹は行方不明になったのか? その謎を解明したいという思いは、愛する家族が目の前から消えた喪失感と、消えてしまった家族のために自分は何かできたのではないかという罪悪感から生じている。喪失感を埋め合わせするように罪悪感が生まれ、その罪悪感を帳消しにしたいという思いが「なぜ?」という答えの出ない問いを生むのだ。こうして家族を失った人たちの気持ちは、狭い袋小路に入り込んでいく。

 この袋小路から主人公がどうやて脱出するかというのが、『コンセント』でも『アンテナ』でもクライマックスとなっている。『コンセント』で描かれたのはヒロインの「覚醒」だったわけだが、『アンテナ』の主人公はSMの女王様との嗜虐プレイによって自分自身の記憶と罪の意識を解放する。このアイデアは面白いのだが、僕は映画の中で若く美しいSMの女王様が、スーパーセラピストとして便利に使われてしまったことに不満を持った。

 SMプレイにはある種の癒し効果があるのかもしれないが、それがこの主人公を解放したのは千にひとつの偶然ではないだろうか。本来なら精神分析医の治療室という「聖域」で行われるべき癒しのプロセスが、きわめて「卑俗」なSMプレイの現場で起きるギャップ。しかしこの映画ではSMプレイのための空間が清浄な「聖域」のようにデザインされている。これじゃ「心に悩みのある人はSMプレイに救いを求めなさい」と言わんばかりだ。

2004年1月中旬公開予定 シネ・アミューズ
配給:オフィス・シロウズ 配給協力:シネカノン
宣伝・問い合わせ:メディアボックス、オフィス・シロウズ
(2003年|1時間57分|日本)
ホームページ:
http://www.shirous.com/antenna/

DVD:アンテナ
サントラCD:アンテナ
原作:アンテナ(田口ランディ)
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