ロイヤル・セブンティーン

2003/09/19 ワーナー映画試写室
アメリカの女の子が父を訪ねてイギリス上流社会に殴りこみ。
アメリカ人の欧州コンプレックス丸出しが見苦しい。by K. Hattori

 ダフネにとって子供の頃からの悩みは、自分に父親がいないことだった。母リビーはイギリス人の父ヘンリーと出会って大恋愛の末に結ばれたが、名門の跡取り息子だった彼の家族はふたりの結婚に大反対。ヘンリーの父が亡くなり家督相続が済むと、リビーは周囲の人々に説得されるようにしてヘンリーと別れたのだ。だがその時リビーのお腹には、既にダフネが宿っていた。それから17年の歳月が流れる。17歳になったダフネは、たったひとりで父親に会おうとイギリスへ。だがその時ヘンリーには、新しい婚約者とその娘がぴったりと寄り添っていた。彼女たちは突然現れたダフネを追い出そうと、あの手この手で意地悪攻撃を仕掛けてくるのだが……。

 主演は『ビッグ・ライアー』(劇場未公開)のアマンダ・バインズ。監督は「アリー・myラブ」など数多くのTV番組を演出をしてきたデニー・ゴードンで、これが劇場映画第2作目になる。アメリカ育ちの女の子がイギリスの上流社会に入り込んで色々なトラブルが起きるというこの物語は、もともとウィリアム・ダグラス・ホームの戯曲が原作だそうで、この戯曲は1958年に『The Reluctant Debutante』というタイトルで映画化されているそうだ。つまりこの映画は、その現代風リメイクというわけ。

 映画はアメリカ人のヨーロッパ・コンプレックス丸出しで、観ていてあまり愉快なものではない。要するにアメリカ人のこうしたコンプレックスは、イソップ童話の「酸っぱいブドウ」なのだ。ヨーロッパの伝統や文化、貴族社会や社交界に対する憧れがある一方、こうした社会に一生縁のないアメリカ人はこれらを「旧弊な身分制度の残滓」「鼻に付く権威主義」「人の血の通わない形式主義」として批判せずにいられない。これはブドウが欲しいのに手が届かなかったキツネが、「あんなブドウはどうせ酸っぱくて食えたもんじゃない」と後ろ足で砂をかけるのと同じだ。

 貴族社会の伝統よりも、みんな平等のアメリカ型社会の方が人間として幸福になれる。それがこの映画のメッセージだ。ヘンリーは世襲の上院議員の職を投げ捨てて、人々から支持を受けて民主的に選ばれる下院議員になりたいと宣言する。元々貴族の身分でありながらその堅苦しさを嫌って庶民生活をしている少年は、貴族社会の基準に合わせようと努力するヒロインに向かって「本当の自分になれ」と説教をする。余計なお世話だ。

 『ローマの休日』はこの映画と逆にお姫様が庶民生活に下りてくる話だが、そこにはヨーロッパ貴族社会や王室制度に対する素朴な敬意が感じられた。アン・ハサウェイ主演の『プリティ・プリンセス』もアメリカ人のヨーロッパ・コンプレックス丸出し映画だけれど、「酸っぱいブドウ」の嫌らしさはないだろう。『ロイヤル・セブンティーン』の底意地の悪さは、映画に登場する婚約者母娘に匹敵するものがある。

(原題:What a girl wants)

11月15日公開予定 全国ワーナー・マイカル系
配給:ワーナー・ブラザース映画
(2003年|1時間45分|アメリカ)
ホームページ:
http://www.warnerbros.co.jp/

DVD:ロイヤル・セブンティーン
サントラCD:ロイヤル・セブンティーン
サントラCD:What a girl wants (From US)
サントラCD:What a girl wants (From UK)
輸入ビデオ:What a girl wants
ノベライズ洋書:What a girl wants
原作洋書:The Reluctant Debutante
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