ロスト・バイ・デッド
LOST BY DEAD

2003/07/11 シネカノン試写室
恋人を自殺させたロッカーのさまよう魂がたどり着いた場所とは……。
暴力描写ばかりが先走って話の内実が追いつかない。by K. Hattori

 ロックバンドのボーカルとして間もなくメジャーデビューを控えていたアキラの生活は、同棲中だった恋人・真理の自殺で急変する。「お前のせいで真理は自殺した!」「人殺し!」という非難中傷。アキラはふさぎ込み、生活は荒れ果て、酒や暴力やドラッグの世界に落ち込んでいく。真理の生前からアキラのファンだった加奈は、そんな彼を何とか立ち直らせようとするが、彼はそんな彼女の気持ちをまったく受け入れず、加奈のアキラを思う気持ちばかりが空回りする。バンドメンバーや仲間たちもアキラを励まそうとするが、彼は周囲の声に耳をふさいで自分ひとりの世界に閉じこもってしまう。

 『バレット・バレエ』や『六月の蛇』などに出演していたという若手俳優・辻岡正人が、監督・脚本・主演の他、編集・撮影・照明・美術・録音・効果・製作などを兼業したインディーズ映画。デジタルカメラで撮影して16ミリフィルムにテレシネしたモノクロの荒れ果てた映像が、アキラの荒涼とした心象風景と重なり合う。台詞の一部をタイトル表示して強調したり、暴力シーンで似たような効果音を繰り返し使うなど、テレビゲームを連想させる映像表現が多く観られる。ひとつひとつのカットも編集も荒っぽく、どれもこれもがひどく乱暴で乱雑なのだが、それが映画の勢いになっている部分もある。この映画を小奇麗に作っても、おそらく退屈なだけだろう。

 この映画の欠点は、映像から発散される猥雑なパワーほどには、物語が面白くないところだ。確かに暴力は際限なくエスカレートする。そのエスカレートぶりは、本来必要なレベルをはるかに逸脱しているほどだ。しかしこうした暴力のエスカレートに、映画を観ているこちらの気持ちが乗ってこないから、暴力シーンはただの絵空事や記号にしかならない。繰り返されるバイオレンスシーンは物語の表面を上滑りして、かえってドラマ本体を薄っぺらなものにしてしまった。ここには暴力の持つ痛みも、肉体の破壊がもたらす禍々しさも、高く積み上げた積み木を崩すようなカタルシスも存在しない。物語を持て余したあげく、すべてに飽きてただ無造作に放り出したような印象が残る。

 さんざん暴力を描いていながら、この映画はその暴力描写を突き抜けられぬまま、物語が最後に逆戻りしているような印象を受ける。大量の暴力と大量の破壊のその先で、愛だの恋だのを語ってほしい。血のりの洗礼を受ける前と後とでは、主人公に内面的な変化があってしかるべきだと思う。恋人の自殺によって、主人公アキラは精神的な死を体験する。その上で暴力と血のりの洗礼を受け、彼はまた復活するのだ。一連の出来事はアキラにとって、恋人の死を受け入れるための通過儀礼だろう。だがこの映画のラストシーンで、アキラはまだぐずぐず言っているのだ。この映画のラストシーンに締りがないのは、こうしたアキラの中途半端さに起因しているように思える。

8月30日公開予定 シネマ・下北沢
製作・配給:辻岡プロダクション 配給協力:ゼアリズエンタープライズ
(2003年|1時間24分|日本)
ホームページ:
http://www.geocities.jp/tsujiokamasato/

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DVD:ロスト・バイ・デッド
関連DVD:辻岡正人監督

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