スパイ・ゾルゲ

2003/06/27 渋東シネタワー4
篠田正浩監督が10年かけて実現させたプライベート・ムービー。
戦前の日本をオシャレに再現している。by K. Hattori

 篠田正浩監督の映画『スパイ・ゾルゲ』は、監督が10年以上の歳月をかけてようやく実現させた3時間の歴史大作だ。ソ連のスパイであるドイツ人・リヒャルト・ゾルゲと、日本人新聞記者・尾崎秀実を中心に、太平洋戦争前夜の日本を仰天させた「ゾルゲ事件」の全貌を描いていく。篠田監督はこの作品を最後に監督業から引退するそうだが、監督人生最後の大仕事として挑んだ作品としては、いささか焦点の定まらない退屈な映画になってしまっていると思う。「構想○年の大作」は、○に入る数字が大きくなればなるほど完成した映画がつまらなくなるというジンクスがある。この映画もその例に漏れない凡庸な映画なのだ。

 なぜこんな映画になってしまったのか? その理由は篠田監督の映画作家としての関心が、ゾルゲや尾崎といった登場人物より、戦前の上海や東京の風景を再現することに向けられていたからだろう。物語はゾルゲと尾崎が上海で出会うところから始まるが、これは1930年のことだった。ゾルゲと尾崎が東京で再会したのは1934年。じつは篠田監督が生まれたのが1931年で、ゾルゲ事件はそのまま篠田監督の生まれ育った時代と重なり合う。篠田監督はゾルゲ事件を通して、自分が少年時代を過ごした「時代」を描いている。そしてそれに熱中するあまり、肝心の人間たちのドラマをどこかに置き去りにしてしまったのだ。

 物語はゾルゲと尾崎が逮捕されるところから始まり、取調べでふたりが供述する事件の顛末を回想形式で描いていく。ところがこの映画、定番の回想形式を使っていながら、脚本の構成にまるで工夫がない。同じ事件をふたりの人間が語っているのに、回想シーンはいったいどちらの回想なのかがまるでわからない。これでは回想形式にする必要なんてどこにもないではないか。ゾルゲと尾崎の回想で事件を描くなら、立場の違いから来るふたりの供述の違いを強調して、事件の意味を立体的に描くこともできたろう。あるいはゾルゲの協力者となった尾崎秀実や宮城与徳の国家に対する忠誠心と愛憎を通して、戦前の日本を浮き彫りにすることもできたのではないか。この事件の切り口はいろいろ考えられる。それなのに篠田監督は、事件のエピソードをただ時系列につないで絵解きするだけなのだ。

 ドイツ軍兵士として第1次大戦に従軍したゾルゲが、なぜソ連共産党のスパイになったのか? 尾崎秀実は、宮城与徳は、どんな思惑からゾルゲに協力していたのか? こうした疑問に、映画はまったく答えてくれない。動機も戦略も思想的背景も見えないスパイ事件は、いい年をした大人たちが演じる「スパイごっこ」に過ぎない。こうした本質的な疑問に比べれば、ドイツ人同士やロシア人同士が英語で会話をするという不自然さなどたかが知れている。戦前の風景への憧憬の念は伝わってくるが、それで終わっている映画だと思う。

6月14日公開 日劇2他・全国東宝系
配給:東宝
(2003年|3時間02分|日本)
ホームページ:
http://www.spy-sorge.com/

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